コジマエンジニアリング
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株式会社コジマエンジニアリングは京都府に本社を置く、かつてはF1の日本GPへのスポット参戦や全日本F2へ参戦していた、日本のレーシングカーコンストラクターであった。 モトクロスのライダーであった小島松久により設立された、小島・レーシングが前身である。
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[編集] レース活動
1970年1月18日には全日本鈴鹿300kmレース大会にフォード・GT40にて参戦し総合4位となる。ドライバーは田中健二郎。 このフォード・GT40は、元々JWエンジニアリングがル・マン24時間レース用に製作したものをヤマハが研究用として使用していたもので、トヨタ7の開発に貢献したといわれている。
1976年10月24日、オリジナル・シャシ「コジマ・KE007」にてF1グランプリin JAPANに参戦。ドライバーは長谷見昌弘。 予選で一時4番手タイムを出すも最終コーナーでクラッシュし大破。最終的に予選は10番手となるもモノコックまで潰れるという大ダメージにより本戦出走があやぶまれるも、わずか40時間という驚異的スピードで修復し本戦出走。しかしながら、完璧な修復とは言えず、本戦では11位完走で終わる。
1977年10月23日、「コジマ・KE009」にてF1日本グランプリに参戦。2台をエントリーし、ドライバーは星野一義と高橋敬武。 日本企業のスポンサーや当時F1への提供を経験していなかったブリヂストン製タイヤを履くも、前年ほどの目立った結果を出せずに終わった。決勝は星野11位、高原1周リタイア。
ドイツのカウーゼンとのジョイントにより、1978年からのF1参戦をもくろんだコジマは'77JAF鈴鹿グランプリにカウーゼンのF2マシンで出走していたケケ・ロズベルグにKE009改をテストさせるも、タイヤもエンジンも酷評された。結局コジマとカウーゼンとのジョイントは実現せず、その後コジマは全日本F2をメインとして1980年代後半まで活躍した。
[編集] コジマのF1マシン
[編集] KE007
- 由良拓也デザインによるカウルをまとい、開発には解良喜久雄も関わった純国産シャシ。当時まだ珍しいチタンやカーボン等も使用されていた。
- マシンはその後ヒーローズレーシングを経て展示用として転売を重ね、長く行方が分からなかったが、1997年にレストア界でも有名な広島でバンファンを経営する栃林昭二により松山市のタイヤ店の店先で発見され、栃林らの手により7年がかりで復元し2004年のイギリスで行われたグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて長谷見昌弘ドライブにより初披露された。
[編集] KE009
- KE007を改良・発展させたマシンである。さらに改良を加えたKE009改にてF1進出をもくろむもうまくいかなかった。
年 | チーム | ドライバー | シャシ | タイヤ | 順位 |
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1976 | コジマ-フォード | 長谷見昌弘 | KE007 | ダンロップ | 11位 |
1977 | コジマ-フォード | 星野一義 | KE009 | ブリヂストン | 11位 |
1977 | コジマ-フォード | 高原敬武 | KE009 | ブリヂストン | リタイア |