ゴンザーガ家
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ゴンザーガ家(Gonzaga)はイタリアの貴族の家系。マントヴァの僭主(シニョリーア)として知られる。15世紀から16世紀のマントヴァ宮廷に華やかなルネサンス文化を育てた。ゴンツァーガ家とも表記される。
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[編集] 概要
1328年、シニョリーアであったボナコルシ家から権力を奪い、マントヴァの軍事長官を務めた。15世紀のジャンフランチェスコ1世(Gianfrancesco 1395-1444年)がマントヴァ侯になった。1530年にフェデリーコ2世が公位を取得したことにより、マントヴァ侯国から公国となった。16世紀から17世紀にかけて、トスカーナ大公国のメディチ家と婚姻関係を結んだ。
直系の子孫は1627年で途絶え、ゴンザーガ家の分家であるフランスのヌヴェール家のカルロ1世が継いだが、直後の1630年にはオーストリア・ハプスブルク家に侵攻された。次第に勢力が衰え、1708年、マントヴァ公国はハプスブルク家のミラノ公国に併合された。
[編集] 主な人物
フランチェスコ2世、フェデリーコ2世の時代にルネサンスの宮廷文化が栄えた。
- フランチェスコ2世
フランチェスコ2世(Francesco、1466-1519年)は4代目のマントヴァ侯。 フランチェスコに嫁いだイザベラ・デステ(Isabella d'Este Gonzaga 1474-1539年)はルネサンス史上最も有名な女性の一人で、多くの文化人を宮廷に集めたことで知られる。レオナルド・ダ・ヴィンチやティツィアーノがイザベラの肖像を描いている。
- フェデリーコ2世
フェデリーコ2世(Federigo 1500-1540年)はフランチェスコ2世とイザベラの子で、マントヴァ侯を継いだ。1530年にマントヴァ公の称号を得た。母親譲りの文化愛好者でラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノを招き、夏の別荘パラッツォ・デル・テを建てさせた。