サブマリン特許
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サブマリン特許(サブマリンとっきょ/英: Submarine patent)とは、出願された発明のうち、記載された発明技術が普及した時点で特許権が成立するとともに、その存在が公になるものを言う。和訳して「潜水艦特許」とも称する。
旧来の特許制度のもとでは、制度の不備を突いて、出願日を維持しつつ長く公開を免れるように手続きを繰り返し、技術が普及してから権利を取得して、利用者に多額の特許実施料を請求する例がしばしば見られた。
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[編集] 概要
特許制度は、有益な技術について
- 公開して世の中に役立てる
- 権利消滅後に誰でも実施できるようにする
- 同様な技術開発を避ける
- その代償として一定期間独占実施の権利を与える
- 他の使用を差し止めることができる
- 実施料と引き換えに他に実施させることもできる
ことを趣旨とした制度であるとの説(公開代償説)が一般的である。
現在の特許制度においては、出願した発明の内容を一定の期間を経て公開する制度が導入されており(ただし、米国については一部例外がある)、公開された発明を調査しておくことで、他者の特許を回避することも可能である。また、特許の権利期間は出願日から起算されるので、審理が長引いて特許成立が遅れても、特許権が切れる期日はある程度より遅くならない。
しかし、旧い法制度では、幾つかの問題が指摘されていた。
- 特許として登録されるまで公開されない(2000年以前の米国(ただし、現在でも一部例外あり)、1971年以前の日本)
- 特許の有効期間は登録日から起算する(1996年以前の米国、1971年以前の日本)
このため、1995年以前に米国に出願された発明、及び、1971年に以前に日本に出願された発明については、特許が成立するまで、第三者はどの様な発明が出願されているかを知ることができなかった。また、特許出願について分割や補正等の手続きを繰り返して、発明した技術を秘匿しつつ特許の成立を遅らせた場合でも、出願日そのものは維持され、また、特許の有効期間は成立日から起算するので、充分な期間にわたり権利を保持して利益を享受できた。
この様な操作を行われた特許は、急にその存在が明らかになるところから「サブマリン特許」と呼ばれる。
日本では、1971年に早期公開制度が導入されるとともに、権利期間が、出願日から起算されたものと、公告日から起算されたものの両方のうち、短い期間を取ることにされたため、これ以降の出願についてはサブマリン特許の問題は生じない。
米国では、1996年のTRIPS協定の発効に伴い、出願日を権利期間の起算日とする法改正が行われたため、長期間にわたるサブマリン特許が発生することはなくなった。ただし、公開制度については、2000年に制度が導入されたものの、一部例外が認められているため、特許成立までどのような発明が出願されているか分からない場合はまだ残っている。
[編集] 問題点
特許制度の本来の趣旨は、一定期間だけ特許の実施を独占させる代わりに、その後はその特許を誰もが実施できることにある。しかし、サブマリン特許では、故意に成立時期を遅らせることにより、制度が本来独占権を与えることを予定されていない時期に、独占権を行使することが可能となるとともに、特許された発明を公衆が自由に利用することができる時期が遅れてしまうことになる。
殊に、技術動向から今後予想される技術、なかんずく基盤となる技術を的確に予測して、それを発明として出願した場合は深刻である。当該技術が普及して基盤技術となり、その上に幅広い技術体系が構築されたところでサブマリン特許が明らかになると、基盤技術を排除する事は事実上不可能で、幅広く使われている事を根拠に権利者の言う膨大な使用料支払いを余儀なくされる。
[編集] 著名な例
サブマリン特許として関連する事項を幾つか挙げる。
[編集] レメルソン特許
米国の発明家ジェローム・ハル・レメルソン(Jerome Hal Lemelson)が取得した米国特許の一群を指すが、その中に1950年代より幅広い事例について発明を出願し、長く分割や補正の手続きを繰り返して発明を秘匿してきたサブマリン特許も含まれる。一部は1956年に最初の出願がなされ、1985年に至っても補正が続けられている(参考文献)。
これらの特許は、主に画像処理に関するものであり、日本の自動車会社についても自動車の輸出の管理にバーコード処理を使うとして実施料を支払っている他、ゲーム機器、ゲームソフトメーカーに対しても、映像処理と音声処理の同期処理、3D表現方法に関連して実施料の請求があり、一部は支払っているとされる。
なお、特許の一部については、手続きに過失(懈怠)があったとして、無効とする判決が米国ラスベガス連邦地裁で2004年1月23日に出されている。
[編集] SDRAM特許
米ラムバス社(Rambus, Inc.、ランバス社とも表記)が、自社の米国特許がSDRAM(DRAMの一つ)に使われているとして、チップメーカやセットメーカに実施料を請求した。SDRAMの規格策定に際して、参加社は所有する関連特許を公開して取り扱いを協議することにしていたが、当初参加していたラムバス社は、自社の特許を秘匿し、後にSDRAM規格に基づく製品が普及した時点で特許を成立させて幅広く実施料を請求して回った。
中でも、ドリームキャストについては、使用しているメモリが特許権を侵害するとして米国への輸入差し止めの申請も行われている。
[編集] キルビー特許
キルビー特許については、もともとの特許出願が公告された時点で技術内容が明らかになっており、技術を秘匿していないので厳密にはサブマリン特許とは言えないが、権利化を遅らせた例であるのでサブマリン特許に含めて扱うこともある。ジャック・キルビーが発明し半導体集積回路の基板技術として日本に出願された発明「半導体装置」(特許第320249号、以下249特許)と、それを分割した子を更に分割した孫にあたる「半導体装置」(特許第320275号,以下275特許)のうち、275特許を指す。
249特許は、1960年に出願されて1965年に公告された。しかし、同業他者より異議申し立てが相次ぎ、最終的に特許として登録されたのは1977年である。当時の特許法の下では権利期間は公告から15年であったため、1980年に満了し、この特許の権利が認められたのは3年間のみであった。
一方、これを分割したものを再度分割した275特許については、拒絶査定に対しても審判で反論を繰り返して1986年に公告を勝ち取り、その後の異議申し立ても退けて1989年に登録された。1960年当時の特許法が適用されるため、権利期間は1986年の公告から15年間、すなわち2001年までとなった。
275特許については、半導体製品が生活の隅々まで行き渡るようになってから特許となったもので、関連業界が実施料として支払った金額は膨大になる。なお、富士通のみは特許に抵触していないとして実施料支払いを拒否し、訴訟の結果、275特許そのものも無効とされた。訴訟についてはキルビー特許を参照。