ジム・ラフィーバー
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ジム・ラフィーバー(James Kenneth Lefebvre、1942年1月7日 - )はアメリカカリフォルニア州出身で、日本で活躍した元プロ野球選手。右投げ右打ち。内野手。
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[編集] 来歴・人物
1965年、ロサンゼルス・ドジャースでメジャーリーグデビュー。新人ながら二塁の定位置を獲得し157試合に出場。ジャッキー・ロビンソン賞(新人王)を獲得。
1973年、ロッテオリオンズに入団。日本では主に一塁を守り、初年度にチームトップの29本塁打を放つ。チームの主力打者として1974年の日本一に大きく貢献した。
1975年、体力の限界により現役を引退するが、翌1976年、チーム事情により現役復帰。同年現役引退。チーム内の評価も高かったため、翌1977年もスカウト兼コーチとして球団に残った。スカウト時代にアメリカで出場機会に恵まれてなかったレロン・リーを自身の仲介で入団させる功績を残した。
1978年に帰国し、ドジャース傘下のルーキーリーグ監督に就任。1985年、3Aの監督として優勝。
1989年、シアトル・マリナーズの監督に就任。1991年には球団史上初のシーズン勝ち越しを決めたが、球団フロントとの軋轢により退団。翌1992年から1993年はシカゴ・カブスで、1999年はミルウォーキー・ブリュワーズで監督を務めた。
2002年に野球中国代表監督に就任し、2005年のアジアシリーズ、2006年のワールド・ベースボール・クラシック、アジアシリーズでも指揮を執り続けている。
登録上は右打ちだが、1975年5月30日の太平洋戦に左右両打席本塁打を達成している。
漫画アストロ球団にはロッテオリオンズの一員として実名で登場している。
[編集] 通算成績
- 試合330 打数1098 安打289 打率.263 本塁打60 打点176 盗塁5 犠打15 犠飛6 三振147
[編集] 背番号
- 1973年~1975年 1
- 1975年 88
- 1976年 5
[編集] 関連項目
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