ジャン=ジャック・デザリーヌ
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ジャン=ジャック・デザリーヌ (Jean-Jacques Dessalines,1758年9月20日 - 1806年10月17日)は、ハイチ独立運動指導者、皇帝。今日もハイチ建国の父として敬愛されている。
ハイチ革命勃発後、当時フランスの植民地だったサン・ドマングで、トゥーサン・ルーヴェルチュールの部下として活躍した。1803年に彼が獄死すると反乱軍の新たな指導者として再蜂起し、1803年にフランス軍をサン・ドマング領内から駆逐した。1804年に独立宣言をし、国名をサン・ドマングから先住民であるタイノ人がつけた名であったハイチに変更した。さらに、ナポレオンに倣って皇帝として即位した。権力を掌握すると報復として白人を大量に殺した。しかし、皇帝になったものの、北部のアンリ・クリストフと南部のアレクサンドル・ペションらの勢力に圧迫され、1806年に暗殺された。