暗殺
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暗殺(あんさつ)とは、主に政治的、宗教的または実利的な理由により、要人殺害を密かに計画・立案し、不意打ちを狙って実行する殺人行為のこと。
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[編集] 概説
通常は非合法な行為であるが、国家が自ら暗殺を実行する例もある(冷戦時代の諜報機関等)。
強権政治を行う国家による暗殺は、反対派・反体制派に対する弾圧・粛清的な面が強い。 しかし逆に、そのような国家、あるいは放置しておくと不特定多数の人命に危害が及ぶ恐れのある凶悪な犯罪者に対し、非常措置と称して暗殺が計画される場合もある。
古代ローマのカエサル暗殺、ナポレオン暗殺未遂事件、第二次世界大戦中のヒトラー暗殺計画のように、独裁者・暴君・犯罪者を政治的・宗教的理由から殺すことへの可否は、暴君放伐論(モナルコマキ)としてヨーロッパ政治思想のひとつとして論争が続けられてきた。
所謂、テロと重なり合う部分も多い。ただし、無差別テロは特定要人の殺害が目的ではないので暗殺には含めない。
尚、暗殺は、バレにくい手段で行わなければならないことも多い。余談だが、現代に於いて、最もバレにくい暗殺手段は、『交通事故』、及び、『ひき逃げ』等、『事故』に偽装する手段であるとされる。
[編集] 暗殺事件の一覧
詳細は、暗殺事件の一覧を参照されたし。
[編集] 暗殺未遂事件の一覧
- 紀元前685年 - 管仲が桓公暗殺未遂。
- 紀元前227年 - 荊軻による始皇帝暗殺未遂。
- 紀元前218年 - 張良が博浪沙で始皇帝暗殺未遂。
- 622年 - ムハンマド暗殺未遂事件。
- 1185年(文治元年10月) - 土佐坊昌俊が源頼朝の命により、その弟・源義経を襲撃。
- 1478年4月26日 - パッツィ家の陰謀。メディチ家の転覆を狙い、フィレンツェ貴族パッツィ家が起した事件。大聖堂でミサの最中に襲われロレンツォ・デ・メディチは傷を負いながらも難を逃れたが、弟のジュリアーノは凶刃に倒れた。この事件の影には、ローマ教皇シクストゥス4世との関係悪化があり、その後の教皇国・ナポリ王国との戦争に発展した。
- 1570年6月22日(元亀元年5月19日) - 織田信長が甲津畑で狙撃される。犯人は六角義賢の配下杉谷善住坊(3年後に鋸挽きの刑に処せられる)。
- 1590年(天正18年) - 義姫(保春院)による実子・伊達政宗毒殺未遂事件。
- 1605年11月15日 - イングランド王ジェームズ1世爆殺未遂(火薬陰謀事件)。犯人はロバート・ケイツビー、ガイ・フォークスらカトリック過激派。
- 1800年12月24日(19時15分) - ナポレオン爆破暗殺未遂。爆弾テロにより8人即死、負傷28人、家屋46戸損壊。通称「地獄の仕掛け事件」(サン・ニケーズ街テロ事件)。ジャコバン派が疑われたが、王党派が黒幕。
- 1821年5月24日(文政4年月23日) - 盛岡藩士下斗米秀之進(変名:相馬大作)による弘前藩主津軽寧親暗殺未遂事件(相馬大作事件)
- 1862年2月13日(文久2年1月15日) - 老中安藤信正暗殺未遂事件。犯人は尊攘派水戸浪士(坂下門外の変)。
- 1868年1月1日(慶応3年12月7日) - 紀州藩士三浦休太郎が海援隊士らに襲われる(天満屋事件)。新選組が護衛についており、襲撃側1名斬死、新選組2名死亡するも、三浦は無事。
- 1868年1月12日(慶応3年12月18日) - 二条城から帰還途上の新選組局長・近藤勇が銃撃を受ける。犯人は高台寺党残党の篠原泰之進・阿部十郎ら。護衛の隊士2名が斬死。これに先立ち、阿部・佐原太郎・内海次郎の3名が近藤妾宅に沖田総司を襲うも、不在。
- 1868年3月23日(慶応4年2月30日) - イギリス公使ハリー・パークス暗殺未遂事件。犯人は攘夷思想を持つ朝廷御親兵・三枝蓊及び朱雀操。騎兵9名重軽傷。後藤象二郎により朱雀は斬死、三枝は捕縛。
- 1870年1月21日(明治2年12月20日) - 中弁江藤新平暗殺未遂事件。犯人は佐賀藩下卒6名。
- 1874年1月14日 - 右大臣岩倉具視暗殺未遂事件。犯人は征韓派高知県士族(赤坂喰違の変)。
- 1882年4月6日 - 板垣退助暗殺未遂事件。犯人は相原尚褧。
- 1889年10月18日 - 外務大臣大隈重信暗殺未遂事件。犯人は玄洋社社員、来島恒喜。
- 1891年5月11日 - ロシア皇太子ニコライ暗殺未遂事件(大津事件)。犯人は滋賀県警巡査津田三蔵。
- 1923年12月27日 - 摂政宮裕仁親王(昭和天皇)暗殺未遂事件。犯人は共産主義者、難波大助(虎ノ門事件)。
- 1930年11月14日 - 浜口雄幸暗殺未遂事件。犯人は佐郷屋留雄。東京駅にて。
- 1931年10月 - 秘密結社「桜会」によるクーデター未遂事件(十月事件)。首相若槻礼次郎、外相幣原喜重郎らの斬殺を図る。
- 1932年1月8日 - 昭和天皇暗殺未遂事件。犯人は朝鮮人、李奉昌(桜田門事件)。
- 1936年2月26日 - (二・二六事件)。岡田啓介、鈴木貫太郎も狙われた。なお、鈴木は1945年8月15日にも襲撃を受けたが、逃れている。
- 1943年3月13日 - アドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件。ドイツ軍参謀本部ヘニング・フォン・トレスコウ少将の伝令将校ファビアン・フォン・シュラーブレンドルフによる爆破暗殺未遂。この頃からヒトラー暗殺計画は進行する。
- 1944年7月20日 - ヒトラー暗殺未遂事件。首謀者はドイツ陸軍のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐。エルヴィン・ロンメル元帥も関わったとされ、自殺を強要されている。直後にヒトラーの追及が始り、多くの将官・将校が処刑された。
- 1959年12月~70年 - キューバ フィデル・カストロ革命評議会議長暗殺未遂事件(ブルータス作戦、パティー作戦、リボリオ作戦、AM-LASH作戦)。CIAが政権転覆を狙う。
- 1968年1月21日 - 朴正熙韓国大統領暗殺未遂(青瓦台襲撃未遂事件)。北朝鮮の特殊部隊31名が朴大統領暗殺を企てソウル市内に侵入、銃撃戦により阻止される。
- 1974年8月15日 - 朴正熙韓国大統領暗殺未遂、夫人死亡(文世光事件)。犯人は在日韓国人・文世光。朝鮮総連が黒幕と言われている。
- 1975年7月17日 - 皇太子夫妻暗殺未遂事件。沖縄・ひめゆりの塔参拝中の皇太子・明仁と美智子の夫妻に対し、沖縄解放同盟と共産主義者同盟(戦旗派)〔西田派〕の活動家が火炎瓶を投擲。
- 1981年3月30日 - アメリカ合衆国 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件。
- 1981年5月13日 - サン・ピエトロ広場でローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が銃撃され、重傷を負ったが奇跡的に回復した。犯人はトルコ人メフメト・アリ・アッカ。
- 1983年10月9日 - ビルマ(現・ミャンマー)ラングーンでの全斗煥韓国大統領一行の暗殺未遂事件(ラングーン事件)。閣僚を含め、計25名死亡。北朝鮮工作員の犯行。
- 1990年1月18日 - 本島等・長崎市長暗殺未遂事件。犯人は地元の右翼団体「正気塾」幹部、田尻和美。昭和天皇の戦争責任発言をめぐっての犯行。
- 1991年 - 伊丹十三暗殺未遂事件。ミンボーの女の公開に抗議しての反抗とみられる。
- 1994年5月9日 - 弁護士・滝本太郎暗殺未遂事件。オウム真理教の犯行。
- 1995年 - 漫画家、小林よしのり暗殺未遂事件。オウム真理教に批判的な漫画を描いたことに対する犯行。
- 1995年3月30日 - 警察庁長官・國松孝次暗殺未遂(國松長官狙撃事件)。 未解決。 オウム真理教がらみではないかと言われている。
- 1995年6月 - エジプト・ホスニー・ムバーラク大統領暗殺未遂。
- 1998年9月25日 - カンボジアのフン・セン首相暗殺未遂。
- 2002年9月6日 - アフガニスタン・ハーミド・カルザイ大統領暗殺未遂。
- 2003年5月30日 - ミャンマー・アウン・サン・スー・チー暗殺未遂。
- 2003年6月10日 - ハマース報道官アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー、イスラエル軍ヘリの空爆を受けるが軽症で助かる。しかし、翌2004年4月17日に同様の攻撃を受け、殺害。
- 2003年12月17日 - パキスタン・パルヴェーズ・ムシャラフ大統領暗殺未遂。
- 2003年12月6日 - イラク・連合国暫定当局(CPA)のポール・ブレマー米文民行政官暗殺未遂。
- 2004年3月19日 - 台湾の陳水扁総統が銃撃される。2005年に狙撃者が自殺を遂げた。総統選直前から陳が劣勢にあったための自作自演という説が出回っていたが(選挙結果は陳の勝利)、真偽は未だ不明。黒金(台湾の政治やくざ)との関係を指摘する声もある。
- 2004年9月5日 - ウクライナの大統領候補、ヴィクトル・ユシチェンコ氏毒殺未遂?犯人はウクライナ保安局(SBU)か。
- 2005年5月10日 - ジョージ・W・ブッシュ米大統領暗殺未遂。グルジア訪問中手投げ弾を投擲されるが不発で未遂に終わる。犯人はグルジア人ウラジーミル・アリュトゥーノフ容疑者。7月20日にグルジア特殊部隊により銃撃戦の末拘束される。
[編集] 国家による暗殺
現代において、国家・組織による暗殺を公に宣言している国・組織と元首。
- アメリカ合衆国 - ブッシュ大統領 (イラク戦争に際し、フセイン大統領とその政権幹部に対して)
- イスラエル - シャロン首相 (パレスチナの過激派組織の幹部に対して)
- イラン - ホメイニー師 (小説「悪魔の詩」の著者サルマン・ラシュディとその訳者に対して。その宣言はファトゥワと言い、宣言者にしか撤回できない。ホメイニー師の死去によってその宣言は永久に解かれる事は無くなったが、近年イラン政府から宣言の緩和が為された)
[編集] 有名な暗殺疑惑
- 2001年6月 - ネパール国王ビレンドラ銃殺事件。宮廷晩餐会の席上、皇太子により銃撃され死亡したとされた(ネパール王族殺害事件)。王位を継承した弟のギャネンドラによるクーデターの可能性が取り沙汰された。
- 2006年11月 - ロシアの諜報機関:連邦保安庁(FSB)の元諜報員:アレクサンドル・リトビネンコ。イギリスはロンドンで、放射性物質による、謎の中毒死を遂げる。FSBによる暗殺説や、ロシアの元政商ボリス・ベレゾフスキーの関与説などが存在。
[編集] 関連項目