ジャン=ベデル・ボカサ
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ジャン-ベデル・ボカサ(Jean-Bédel Bokassa 1921年2月22日-1996年11月3日)は、中央アフリカ共和国の大統領(在任:1966年 - 1976年)。中央アフリカ帝国の皇帝ボカサ1世(在位:1977年 - 1979年)。
初代大統領ダッコの従兄弟。第二次世界大戦中は自由フランス軍の兵士として活躍した。
中央アフリカ共和国独立後の1969年、当時国軍参謀総長だったボカサは軍事クーデターでダッコ政権を倒し、翌年大統領に就任。独裁政治をはじめた。1972年には終身大統領を宣言し、1976年にはついに国名を「中央アフリカ帝国」として自ら皇帝に即位した。
1977年12月には国家予算の2倍にあたる2500万ドルを費やしてナポレオン・ボナパルトにならったという豪華な即位式を行い、「皇帝ボカサ1世」となった。ちなみに、この戴冠式には昭和天皇やイランのパーレビ皇帝も招待されたが出席はしていない。
旧宗主国フランスから支持と援助を取り付けるため、当時のフランス大統領ジスカールデスタンに膨大な贈賄工作をしたことを後に告白している。その工作が功を奏し、フランスからは皇帝として承認され、経済的支援も受けることに成功した。
ボカサは反対派を容赦なく弾圧・粛清し、独裁政治を続けたが粛清による人材不足、もともと脆弱な経済であった中央アフリカ経済の悪化などが重なり、帝政は崩壊への道をたどった。
1979年1月、反帝政の学生デモが勃発したが、ボカサはこれを武力鎮圧、400人の死者を出した。しかし、旧宗主国のフランスも帝政打倒を画策。ボカサは新たなる同盟者を求めてリビアに向かったが、リビア訪問中の9月20日にフランス軍による無血クーデターで帝政は廃止されてダッコが大統領に復帰、中央アフリカは共和制に復帰した。
ボカサはフランスに亡命し、後の1986年に帰国、1987年死刑を宣告されたが、1993年釈放された。釈放の際には当時健在だった生母がボカサを出迎えた。1996年死去。
[編集] 関連項目
- ゾグー1世 ボカサ同様、大統領職から「アルバニア王国国王」を称した。