中央アフリカ帝国
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中央アフリカ帝国(ちゅうおう - ていこく)は1977年12月4日に、中央アフリカ共和国のジャン=ベデル・ボカサ終身大統領が戴冠式を行ってから、1979年9月にクーデターにより崩壊するまでの帝国である。
1977年12月4日にボカサは即位式を挙げ、皇帝ボカサ一世となった。即位式には国家予算の2倍にあたる2500万ドルを費やしたという。なお、即位式には昭和天皇とイランのパーレビ皇帝を招待したが、二人とも出席しなかった。フランスは帝国を承認し、物資援助を続けた。だが、すでに帝国は粛清による人材不足、赤字経済が重なり、崩壊への道をたどっていた。1979年1月、反帝政の学生デモが勃発したが、ボカサはこれを武力鎮圧、400人の死者をだした。この後、フランスも帝政打倒を画策、ボカサは新たなる同盟者を求めてリビアに向かった。その訪問中の9月20日、フランス軍の無血クーデターが起き、帝政は廃止、ボカサは亡命した。後にボカサは1986年に帰国、1987年死刑を宣告されたが、1993年釈放された。