ジュスカグランペール
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ジュスカグランペールとは、京都発のヴァイオリンひろせまこと(廣瀬誠)とギター高井博章による音楽ユニット。 ジプシージャズやパリミュゼット、ラテン、クラシックなど様々な音楽の要素を取り入れた「ジュスカサウンド」は、ジャンルを越えて独自の世界観を作り出している。
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[編集] メンバー
- ひろせまこと ヴァイオリン
- 高井博章 ギター
[編集] 略歴
1999年、高井博章、ひろせまこと、清水健太郎(ベース)の3人でジュスカグランペールとして活動開始。 その後、清水健太郎は脱退するが、高井とひろせで活動を続ける。 ちなみに清水健太郎が参加しているのは2002年にリリースされた一枚目の自主制作CD-R「RedBricks」のみである。(現在は廃盤)
その後、自主制作で2枚のCDをリリース。 計三枚となった。
2006年三枚目のCD「JUSQUA」が、ジュスカの友人からクレモンティーヌにわたり、 共演を果たす。 ギターデュオゴンチチのライブのオープニングアクトとして出演 クレモンティーヌと共演した「ロマンスの祈り(原曲は祈りのボレロ)」がフランス映画「ぼくを葬る」の メインテーマ曲に起用される。
また、ジュスカグランペールの代表曲「Gypsy Dance」が、マックスファクターが展開する高級化粧品ブランドSK-IIの アドバンストサインズトリートメントのCMにタイアップされる。
その後、世界的ヴァイオリニスト葉加瀬太郎が音楽総監督を務めるレーベル「HATS」のイベント 「HATS MUSIC FES'07」に緊急出演が決定した。 だがフライヤーの印刷に間に合わなかったため、フライヤーにはシールで紹介されている。 同イベントのパンフレットにはなぜか一つもジュスカの写真がない。
[編集] 高井博章(ギター)の略歴
中学二年生のころにギターに出会い、高校大学時代は軽音楽部の部長を務める。 自ら結成したバンドは多数の賞を受賞し、卒業後プロとして活動を始める。 1991年にはヤマハバンドエキスプロージョンで金メダルを受賞。 その後セッションギタリストとして活動の場を広げ、メジャーアーティストのレコーディングや ライブサポートなどをこなしつつ、自分らしいスタイルを追求する。
[編集] ひろせまこと(ヴァイオリン)の略歴
音楽一家の長男として生まれ5才からヴァイオリンをはじめ、クラシック一筋の幼少時代を過ごす。 しかし、中学・高校時代はロックやブルースに目覚め、デモテープ作りにはまる。 大学では一転してクラシックを4年間みっちりと勉強し、ジャズにも興味を持つ。 卒業後、コンピューターゲーム作曲やオーケストラの指揮・演奏後進の指導など クラシック演奏家として活動をする。
[編集] 二人の出会い
ひろせが生徒のレッスン時にあるギターの先生がヴァイオリンの人を探しているが、ライブに行ってみないかと誘いをうける。 ひろせはてっきりデートかと思い、いい気になっていたところ用事があるからと断られ、一人で会場へ向かう。 たくさんの出演者の中、ひろせの目線の先には赤いエレキギターにモヒカン頭で爆音を轟かせてる人がいた。 ライブ終了後、楽屋にあいさつをしに向かった先で出迎えたのはやはりモヒカン頭の高井であった。 ライブのテンションのまま、すごい勢いの喋りと堅い握手に圧倒されながら、リハーサルの日までも決定。 数日後、大きな不安を胸にリハーサルに向かったひろせ。当初はお互い 気を使い、敬語で話していたが、セッションが始まると、とても楽しく、自由な時間に2人は確かな手応えを感じていた。
[編集] 名前の由来
ジュスカグランペールとは、フランス語で「おじいさんになるまで」という意味で、 ともに白髪になるまで音楽活動を続けて行きたいという強い気持ちからこの名前になった。
[編集] CD
[編集] 2002年
- RedBricks(CD-R)
[編集] 2003年
- en Voyage
[編集] 2005年
- JUSQUA
[編集] 2006年
- Melting Point(ベストアルバム クレモンティーヌ参加)
[編集] 2007年
- 7月ニューアルバムリリース予定