ジュゼッペ・ファヴァッリ
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ジュゼッペ・ファヴァッリ(Giuseppe Favalli, 1972年1月8日 - )はイタリア出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
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[編集] プレースタイル
あまり目立たない存在ではあるが、冷静な判断力と抜群の安定感でチームを支えるベテランプレーヤー。プレーに全くムラがなく、また左サイドを主戦場としているものの、右サイドでも遜色ないプレーを見せる。
[編集] 来歴
ファヴァッリのキャリアの始まりはセリエBのクラブ、クレモネーゼであった。1988-1989シーズンにトップチーム昇格を果たすと、チームがセリエA昇格を果たした1989年にデビューを飾った。
チームは僅か一年で降格してしまったものの、翌シーズンにファヴァッリの活躍もあって再昇格、この活躍により1992-1993シーズンにラツィオ移籍を果たす。ここで不動の左サイドバックとして活躍し、1997-1998シーズンのコッパ・イタリア制覇を支えた。
翌年にはカップ・ウィナーズ・カップを制し、1999-2000シーズンには26シーズンぶりのスクデットを獲得とコッパ・イタリア制覇とチームはとんとん拍子でタイトルを積み重ねる。
この後、チームのキャプテンに指名されチームを牽引、2003-2004シーズンにクラブ最多出場記録となる394試合出場を果たす(それ以前の記録はピノ・ウィルソンが所持)。このシーズンにはファヴァッリの記録に花を添えるように再びコッパ・イタリア制覇を果たす。そして、このシーズン終了後に12年所属したラツィオに別れを告げる。
ビッグクラブを含む複数のクラブからのオファーを受けたものの、ファヴァッリは当時不振に喘ぐインテルを選び、現役時代も共に戦ったロベルト・マンチーニの手に委ねられたチーム再建の核となる。
結局インテルで2度のコッパ・イタリア制覇(自身5度目)を経験、セリエA通算400試合出場など華々しい記録を手にした。2006-2007シーズンからミランへ加入している。
[編集] 代表
イタリア代表としてはU-18、U-21とユースチームを渡り歩き、バルセロナ五輪に出場した。1994年のエストニア戦でA代表デビューを果たしている。
[編集] 所属クラブ
ACミラン - 2006-2007 |
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1 ヂーダ | 2 カフー | 3 マルディーニ | 4 カラーゼ | 5 コスタクルタ | 7 オリヴェイラ | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 セードルフ | 11 ジラルディーノ | 15 ボッリエッロ | 13 ネスタ | 16 カラッツ | 17 シミッチ | 18 ヤンクロフスキー | 19 ファヴァッリ | 20 グルキュフ | 21 ピルロ | 22 カカ | 23 アンブロジーニ | 24 グリミ | 25 ボネーラ | 27 セルジーニョ | 29 フィオーリ | 32 ブロッキ | 44 オッド | 99 ロナウド | 監督 アンチェロッティ | |
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