ジョン・ハインド
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発見した小惑星 | |
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イリス | 1847年8月13日 |
フローラ | 1847年10月18日 |
ヴィクトリア | 1850年9月13日 |
イレーネ | 1851年5月19日 |
メルポメネ | 1852年6月24日 |
フォルトゥーナ | 1852年8月22日 |
カリオペー | 1852年11月16日 |
タリア | 1852年12月15日 |
エウテルペ | 1853年11月8日 |
ウラーニア | 1854年7月22日 |
ジョン・ラッセル・ハインド(John Russell Hind, 1823年5月12日 - 1895年12月23日)は、イギリスの天文学者。
ハインドはグリニッジ天文台でジョージ・エアリーの下で働き、後にウィリアム・ドーズの後任としてジョージ・ビショップ天文台の台長に就任した。1853年から1891年まで航海暦局の最高責任者として活動した。
ハインドの名前について、いくつかの資料ではミドルネームの末尾の「L」が1つだけとなっている「John Russel Hind」という綴りが用いられている。しかしながら19世紀のイギリスの天文雑誌では一貫して「John Russell Hind」と、ミドルネームの末尾の「L」を2つ続けている。
ハインドは初期の小惑星発見者の1人であり、生涯で10個の小惑星を発見した。変光星であるうさぎ座R星やおうし座T星を発見したこと、ガーネット・スターが変光星であることを発見したこと、超新星SN 1604を発見したことでも知られている。
ハインドは小惑星(12)ヴィクトリアの命名者であるが、ヴィクトリアの命名に際して論争を引き起こした。命名当時、イギリスにおいてヴィクトリアという名は一般にイギリス女王ヴィクトリアを想像させるものであったことから、生存している人物の名を小惑星に命名することに対してさまざまな意見が出された。しかしながらハインドは、命名はヴィクトリア女王にちなんだものではなく、ローマ神話に登場する勝利の女神ヴィクトリアにちなんだものであると主張した。
1853年、ハインドは王立天文学会のゴールド・メダルを受賞した。ハインドの業績を称え、ハインドの名前は月にあるクレーターおよび小惑星に付けられている(ハインド (クレーター)、(1897)ハインド (小惑星)を参照)。