ジョン・ヒューストン
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ジョン・ヒューストン(John Huston,1906年8月5日 - 1987年8月28日)は、アメリカ合衆国ミズーリ州出身の映画監督・脚本家・俳優。
父親は俳優のウォルター・ヒューストン。俳優一家に生まれ、3歳の時から舞台に立つ。ティンエイジャーの頃はボクシングに熱中し、その後各地を放浪して様々な職業に就いた。
後にハリウッドに落ち着いて脚本を書くようになり、『モルグ街の殺人』や『黒蘭の女』などの脚本を手がけて実績を積んだ後、1941年にハンフリー・ボガート主演の『マルタの鷹』で監督としてデビューした。ボガートとは生涯親交が深く、多くの主演作品を撮っている。
男性的で骨太なタッチの作品が多く、また、目的を持って行動する主人公たちが徒労の果てに挫折していくというストーリーをしばしば取り上げることも特徴である。その典型である1948年の作品『黄金』はアカデミー監督賞と脚色賞を受賞した。
俳優としては壮年期以降、個性的なバイプレイヤーとしていくつかの作品に出演している。1963年の『枢機卿』ではアカデミー助演男優賞にノミネートされ、自作の『天地創造』では自らノアを演じた。1970年代にはイタリアのB級映画に多く出演したが、もっとも有名な助演作品は、ロサンゼルス政界の非情かつ外道な黒幕を怪演した1974年の『チャイナタウン』(ロマン・ポランスキー監督)であろう。
生涯で5回結婚している(そして5回離婚した。「5回も結婚すべきでない」と晩年に反省の弁を残している)。二人目までは映画界と無縁の女性だが、三人目は女優イヴリン・キース(「風とともに去りぬ」でスカーレット・オハラの妹役を演じた)。四人目がロシア人バレリーナ、リッキー・ソマ。リッキーの事故死後、五人目がメキシコ人女性。70歳を過ぎても、子供のような年齢のメキシコ人女性と同棲していた。私生活も豪快で、エロール・フリンと骨折沙汰の殴り合いを起こし、アフリカでのロケーション中には狩猟に熱中して映画撮影を放り出してしまうなど、奇想天外なエピソードを多く残している。
赤狩りの時代、アメリカを嫌ってメキシコに移住した。
リッキー・ソマとの間の娘アンジェリカは女優となった。
[編集] 主な監督作品
- マルタの鷹 The Maltese Falcon (1941)
- 黄金 The Treasure of the Sierra Madre (1948)
- キー・ラーゴ Key Largo (1948)
- アスファルト・ジャングル The Asphalt Jungle (1950)
- アフリカの女王 The African Queen (1951)
- 白鯨 Moby Dick (1956)
- 許されざる者 The Unforgiven (1960)
- 荒馬と女 The Misfits (1961)
- イグアナの夜 The Night of the Iguana (1964)
- 天地創造 The Bible (1966)
- 007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale (1967)
- ロイビーン The Life and Times of Judge Roy Bean (1972)
- マッキントッシュの男 The MacKintosh Man (1972)
- 勝利への脱出 Escape to Victory(1980)
- アニー Annie (1982)
- 女と男の名誉 Prizzi's Honor (1985)
- ザ・デッド/『ダブリン市民』より The Dead (1987)
[編集] 主な出演作品
- 枢機卿 The Cardinal (1963)
- マイラ Myra Breckinridge (1970)
- チャイナタウン Chinatown (1974)
- 風とライオン The Wind and the Lion (1975)
- モモ Momo (1986)
[編集] 関連書籍
- ジョン・ヒューストン『王になろうとした男』 清流出版、2006年、ISBN 4860291530
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