ハンフリー・ボガート
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ハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart, 1899年1月23日 - 1957年1月14日)は、1940年代、1950年代の最も有名なハリウッドの映画俳優。ニューヨーク出身。
愛称はボギー(Bogie)。大酒家にしてヘビースモーカー。決して二枚目ではなく、背も高くはないが人気を博した。
離婚歴3度。4人目にして最後の妻は、「The look」の異名をとるタフな女優「ベティ」ことローレン・バコール。ハリウッドきってのハードボイルドカップルと言われたこのおしどり夫婦の間には、1男1女がある。
映画初出演は1930年のワーナー・ブラザーズ作品『河上の別荘』。以後20年近くに渡ってほとんどワーナー社専属で活動、1930年代のワーナー社が得意としたギャング映画の敵役を多く演じた。
脇役生活が長かったが、40歳を過ぎて主演した『マルタの鷹』で成功。『カサブランカ』などの作品におけるタフで硬質な役柄で当代を代表するハードボイルド・スターとなったが、後年は演技派としても大成した。1951年の『アフリカの女王』でアカデミー賞主演男優賞受賞。
ヘビースモーキングが祟って肺癌で死去した。最後の出演作品は1956年の『殴られる男』。享年57。死後、伝説的に神格化され、1930年代から1940年代の映画やファッションの象徴としてしばしば挙げられる存在となっている。
ボギーを真似て、トレンチコートの襟を立て、煙草をキザにくわえて吹かす人は多いが、大抵、さまにならずに失敗する。故にウディ・アレンの『ボギー! 俺も男だ』など、ボガートをモチーフにしたパロディ映画やテレビドラマは、枚挙に暇がない。正しい「ボガート・スタイル」は、紙巻き煙草を指に挟まず、葉巻のように手指で摘まむ。背筋を伸ばしてあごを引き、機関銃のように喋りまくった『マルタの鷹』でのサム・スペード役を思い出すとよい。
AFI(米国映画協会)は、「米国映画史上最も偉大な男優50選」として彼を第1位に選出した。
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[編集] 主な主演映画
- ハイ・シエラ -High Sierra(1941年)
- ラオール・ウォルシュ監督。共演アイダ・ルピノ。
- W・R・バーネットの小説の映画化で、ボガートの実質的な初主演作。主人公の犯罪者ロイ・アール役は、当時のワーナー社のスター達が揃って蹴った役柄がボガートに回ってきたものである。悪役の経験を生かした硬質な演技で注目された。
- マルタの鷹 -The Maltese Falcon(1941年)
- ジョン・ヒューストン監督。共演メアリー・アスター、ピーター・ローレ。
- 『ハイ・シエラ』の脚本家だったヒューストンの監督第1作。ダシール・ハメットの名作ハードボイルドの映画化で大ヒットした。これも他のスターに断られた役である。ボガート扮するタフで非情な私立探偵スペードのきびきびとした行動、曲者揃いの共演者たちなど、随所に見どころ多く、原作に忠実かつ切れ味の鋭い演出も見事。監督の父である名優ウォルター・ヒューストンが「2秒間だけ」特別出演。
- カサブランカ -Casablanca(1942年)
- マイケル・カーティス監督。共演イングリッド・バーグマン
- 当時第二次世界大戦において劣勢であったアメリカ国民を鼓舞し、同時に反ドイツ勢力の1つであった自由フランスへの支援を呼びかけるための国策プロパガンダ映画であるが、その出来のよさからボガードの代表作の一つとなった。
- 脱出 -To Have and Have Not(1944年)
- ハワード・ホークス監督、共演ローレン・バコール。
- アーネスト・ヘミングウェイの原作『持つと持たぬと』を『カサブランカ』もどきに大改変した冒険ドラマで、ボガートとバコールの出逢いのきっかけとなった(二人は翌年結婚)。
- 三つ数えろ -The Big Sleep(1946年)
- ハワード・ホークス監督、共演ローレン・バコール。
- レイモンド・チャンドラーの初の長編ハードボイルド小説『大いなる眠り』の映画化。邦題はクライマックスのセリフから。
- 1946年版とローレン・バコールとの絡みを追加した1947年版がある。
- 黄金 -The Treasure of the Sierra Madre(1948年)
- ジョン・ヒューストン監督。共演ウォルター・ヒューストン。
- 覆面作家B・トレイヴンの小説『シエラ・マドレの黄金』の映画化。メキシコ奥地での財宝探しの末に仲間割れしていく男達の末路を描いたシリアスな作品で、ボガートは演技派としての実力を発揮した。アカデミー賞に多数ノミネートされ、監督賞(ジョン・ヒューストン)・助演男優賞(ウォルター・ヒューストン)を父子で受賞した。
- キー・ラーゴ -Key Largo(1948年)
- ジョン・ヒューストン監督。共演ローレン・バコール、エドワード・G・ロビンソン、ライオネル・バリモア。
- マックスウェル・アンダーソンの舞台劇の映画化。ハリケーンに見舞われたフロリダの小さなホテルを舞台に、退役軍人がギャングの大親分一味と対峙するサスペンス。寡黙なボガートを、共演のベテランであるロビンソンが喰ってしまった印象。ベティ・バコールとは最後の共演作で、ボガートにとっての最後のワーナー作品ともなった。アル中の元歌手を演じたクレア・トレヴァーがアカデミー賞助演女優賞受賞。
- 孤独な場所で -In a Lonely Place (1950年)
- ニコラス・レイ監督。共演グロリア・グレアム。
- ボガートが自らのプロダクション「サンタナ・プロ」でプロデュースした異色のフィルム・ノワール。ボガートは現代で言う「ボーダー」型の異常な性格を持つシナリオライターに扮した。製作当時はヒットしなかったが、近年、ニコラス・レイへの再評価に伴って、フィルム・ノワールのジャンルにおける重要な作品として扱われるようになっている。なお共演者のグレアムはレイ監督の当時の妻だったが既に別居中で、映画完成後に離婚している。1940年代末期から1950年代初頭にかけて製作されたサンタナ・プロ作品は、本作に限らず興行的に失敗に終ったものが多い。
- アフリカの女王 -The African Queen(1951年)
- ジョン・ヒューストン監督。共演キャサリン・ヘプバーン。
- 1940年代末期からのハリウッドにおける赤狩りに際して、ボガートやヒューストンは左翼ではなかったが、自由主義の立場から批判的態度を取った。しかし名声ある彼らとてマッカーシー旋風には抗しきれず、ボガートは政治的発言を控えるようになり、ヒューストンはイギリスに活動の場を移す。
- 本作はC・S・フォレスターの冒険小説の映画化で、イギリスで製作された。難行苦行のアフリカ・ロケは、狩猟に熱中したヒューストンの脱線行動など数々の伝説を残す。ボガートは大女優キャサリン・ヘプバーンと共に、びしょ濡れ、泥まみれになりながらドイツ軍砲艦に戦いを挑むカップルを熱演。アクション映像や、アフリカの風景を捉えたカラー撮影なども好評で、ヒット作となった。おんぼろランチ「アフリカの女王」号の酔いどれ船長役で、ボガートは1951年のアカデミー賞主演男優賞を受賞している。が、ボガートとヒューストンは、ロケ地で酒ばかり飲んでおり、すべて酔ったまま演じ、演出されたとか……
- 麗しのサブリナ -Sabrina (1954年)
- ビリー・ワイルダー監督。共演オードリー・ヘプバーン、ウィリアム・ホールデン。
- オードリー・ヘプバーンが愛らしい、豪奢で楽しいコメディ。ボガートとしては珍しく、中年に至って未だ独身の朴念仁をユーモラスに演じた。若い二枚目のホールデンは「俺が、ボギーにオードリーを取られる役?」とあ然としたそうである。もっとも硬派なボガートは、軟派のワイルダーやホールデンとは、反りが合わなかったという(ワイルダーとホールデンは『サンセット大通り』での初顔合わせ以来、たいへん仲が良かった。オードリーもどちらかといえば彼ら寄りだったので、ボガートはますます不機嫌だった)。
- ケイン号の叛乱 -The Caine Mutiny(1954年)
- エドワード・ドミトリク監督。共演ホセ・フェラー、フレッド・マクマレイ。
- 米海軍駆逐艦での指揮権剥奪事件と、軍事法廷での裁判を通じ、軍隊の病巣を描き出した重厚な社会派大作。ボガートは精神に異常を来した艦長を演じ、アカデミー賞にノミネートされている。演技派としてのボガートの代表作。
- 裸足の伯爵夫人 -The Barefoot Contessa(1954年)
- ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督。共演エヴァ・ガードナー。
- エヴァ・ガードナー主演で、酒場のダンサーから大女優に、そして伯爵夫人になった女の波乱の半生を描いたメロドラマの佳作。脚本家出身の才人マンキーウィッツ監督らしいユニークな作品である。ボガートはガードナーを見出した映画監督に扮して狂言回しとなり、ナレーションも務めた。ボガート最後のトレンチコート着用映画でもある。
- 必死の逃亡者 -The Desperate Hours(1955年)
- ウィリアム・ワイラー監督。共演フレドリック・マーチ。
- ボガートの脇役時代の代表作に『化石の森』(1936)がある。食堂に立てこもる凶悪脱獄犯デューク・マンテーに扮したボガートは、その冷酷非情な演技で注目された。それから約20年ぶりに、同様の役柄に扮したのが本作。「アメリカの理想的な父親」であるフレドリック・マーチを相手に、彼の家に押し入った脱獄犯たちのリーダーを演じ、悪役としてのキャリアの長さを改めて観客に示した。
なお、ボガートは長い闘病生活の末に、自宅のベッドで亡くなった。
妻のローレン・バコールは外出していて夫を看取ることが出来なかった。バコールの自伝『私一人』によれば、その朝の出かけ際、痩せ衰えたボガートはベティにこう言ったそうだ。
「バイバイ、キッド」
ボガートは、映画『脱出』でのベティの呼び名を、そのままずっと使っていたのであった。
[編集] パロディほか
- 『ボギー! 俺も男だ』(1973年)
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- ウッディ・アレン脚本・主演の、ボガートへのオマージュに満ちたコメディ映画。
- 原題Play It Again, Samは『カサブランカ』からの引用なのだが、厳密にはボガートはもちろん作中誰もこの台詞は口にしていない。
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
- マッカーシズム
- 内藤陳
- 太陽にほえろ! 春日部一刑事(愛称:ボギー)役:世良公則)
- Humphrey Bogart
- Video
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