ジョン・ラーベ
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ジョン・ラーベ(John H. D. Rabe, 1882年11月23日 - 1950年1月5日)は、ドイツの実業家。南京安全区国際委員会委員長。
[編集] 経歴
ハンブルクに産まれる。1908年に中国に移り、1910年にシーメンス社の中国支社で勤務を始める。1937年の、日本軍による南京攻略戦の時に、他の外国人と共に組織された南京安全区国際委員会の委員長となり、中国民間人を保護する。南京陥落後は、非人道的な暴力を止めさせるのに尽力する。
1938年2月28日に南京を去り、ドイツに帰国した。ベルリンなどで、日本の残虐行為のフィルムと写真を上映したり、ヒトラーに上申書を書いて、日本軍による非人道的な暴力を止めさせることに努力したが、ナチス党員であったにもかかわらずゲシュタポから取調べを受ける。シーメンス社の介入によって釈放されるが、フィルムを没収されると共に日本軍の行為については緘口令を敷かれた。その後、アフガニスタンでの一時的な勤務の後、終戦までシーメン社のベルリン本社で勤務した。戦後、ナチス党員で有ったことを理由にソビエト連邦とイギリスに相次いで逮捕されるが、非ナチ化されて解放された。貧しい生活を続けることになるが、南京でのラーベの活動に感謝する南京の人々からの援助が助けとなった。1950年心臓発作で死亡。
死後、南京大虐殺時代の日記が孫によって出版された。英語、中国語及び日本語に翻訳されているが、日本語訳は誤訳が多い上、日本軍の虐殺行為が大幅に削除されている。
[編集] 著作
- 『南京の真実』講談社、1997年、ISBN 4062088665