南京安全区国際委員会
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南京安全区国際委員会(なんきんあんぜんくこくさいいいんかい、The International Committee for Nanking Safety Zone)とは、日中戦争初期の南京攻略戦に際し、避難できなかった中国市民を、南京城内の一部を安全区として保護するために設けられた委員会。第二次上海事変に際して南市に設立された安全区を手本に、南京に残留した欧米人が中心となって結成された。南京大虐殺の時に日本軍から多くの中国市民を保護したことで知られる。
[編集] 略歴
- 1937年11月17日 ベイツ、スマイス、ミルズの3人は、アメリカ大使館員ウイリヤ・R・ペックに、南京に安全区を設置する計画を説明し、中国政府、日本政府に認知させるための仲介役を依頼する。同日、ミニー・ボートリンからも、同趣旨の手紙を受け取る。このことを受け、ペックは、国民政府立法院委員長・孫科、抗戦最高統帥部第二部長・張群、南京市長・馬超俊らに非公式に伝えた。
- 11月22日 南京安全区国際委員会が結成される。委員長は、ジーメンス南京支社の総責任者であるジョン・H・D・ラーベが就く。
- 安全区の設置を開始する。安全区を非武装地帯にすることが日本当局の要望であったので、中国軍側に安全区からの軍事施設の撤去を依頼する。
- 12月8日 「告南京市民書」を配布し、安全区への市民の避難を呼びかける。
- 12月13日 南京陥落
[編集] 安全区
[編集] メンバー
- マイナー・シール・ベイツ(Miner Searle Bates)
- ジョージ・アシュモア・フィッチ(George Ashmore Fitch)
- アーネスト・H・フォースター(Ernest H. Forster)
- ジェームズ・H・マッカラム(James H. McCallum)
- ジョン・G・マギー(John G. Magee)
- ジョン・H・D・ラーベ(John H. D. Rabe)
- 委員会委員長。ジーメンス社(ドイツ)南京支社の総責任者。
- ルイス・S・C・スマイス(Lewis S. C. Smythe)
- エドワルド・スペリング(Eduard Sperling)
- ミニー・ボートリン(Minnie Vautrin)
- 金陵女子文理学院教授。宣教師。
- ロバート・O・ウィルソン(Robert O. Wilson)