ジョン・ロード
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ジョン・ロード(Jon Lord,1941年6月9日- )はイギリス出身のキーボーディスト。
[編集] 略歴
本名ジョン・ダグラス・ロード。レスターで生まれる。父親はサキソフォン奏者で、音楽的な環境に恵まれていた彼は9歳の頃からピアノのレッスンを受け始める。最初はクラッシック・ピアニストを目指していたが、演劇にも興味を持っていた彼は演劇学校にも通っていた。そんなある日、ジミー・スミスの奏でるハモンドオルガンを偶然耳にした彼はその魅力にとりつかれることになる。その後アマチュア・バンドに加入しキーボードを担当するがあまり仕事に恵まれず1963年、ようやく本格的なバンド、アートウッズに参加する。アートウッズ解散後、サンタ・バーバラ・マシン・ヘッドを結成。シングル・レコードを発表するがヒットせずグループは解散。
次に参加したのはフラワー・ポットメンというバンドで、この頃にリッチー・ブラックモアと出会う。その後、ラウンドアバウトを経て1968年にディープ・パープルを結成。1976年の解散までキーボーディストを務める。
その後、トニー・アシュトン、イアン・ペイスらと共にペイス・アシュトン&ロードを結成。1978年にはデヴィッド・カヴァーディル率いるホワイトスネイクに参加。そして1984年、ディープ・パープルを再結成しバンドの実質的なリーダーとしてメンバーをまとめ上げた。
ツアーの疲労が蓄積してきた2001年、彼は膝を痛め手術を受ける。2002年、諸般の事情からディープ・パープルを脱退。その後ソロ活動に転じた。
[編集] 使用楽器
ハモンド・オルガンC-3、レズリー・スピーカー
アンプについてはディープ・パープル2期の頃はマーシャル製のスピーカー・キャビネットを使用し歪んだ音色を演出していた。彼はこの理由について「テクニックを磨くため」と語っている。このパワフルな音はアルバム「ライヴ・イン・ジャパン」で聴くことが出来る。
また彼はハモンド・オルガンの下部に木製の厚い板を打ち付けている時代があった。これはオルガンを前後に揺らすアクションを容易にする為である。
オリジナルのハモンド・オルガンに改造を施し、ジョン・ロードが特許をとった物がいくつか存在する。