スガノホマレ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1969年3月1日 |
父 | シンザン |
母 | モトコ |
生産 | 鎌田牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 菅原光太郎 |
調教師 | 秋山史郎(中山) |
競走成績 | 45戦8勝 |
獲得賞金 | 1億522万7800円 |
スガノホマレは、日本の競走馬。芝1100m、1200m、1400m、1600m、1800mでレコード勝ちを収めた。
1971年7月25日新潟競馬場の新馬戦でデビューし2着。2戦目の新馬戦で初勝利すると3戦目の芝1200mの平場オープン競走で1分10秒3のレコード、2戦を挟んだ芝1100mの福島3歳ステークスでも再びレコードタイムで優勝した。朝日杯3歳ステークスはトクザクラの5着で3歳戦を終えている。 翌1972年6月17日、復帰戦の芝1600mの平場オープン競走で3度目のレコードを出すと、日本ダービーに出走して優勝したロングエースから2.6秒差の23着に敗れる。次走の日本短波賞で初重賞制覇をすると、秋には菊花賞を目指し、セントライト記念2着となるが、本番の菊花賞は7着に終わった。年末の芝1400mのCBC賞では4度目のレコードを記録している。
年が明けアメリカジョッキークラブカップ2着、東京新聞杯1着、中山記念6着、マイラーズカップ10着の後、天皇賞(春)に出走したが、競走中に故障を発生し、競走中止となった。1年以上の休養を経て復帰したが、その後24戦してレコードタイムで勝利した芝1800mの京王杯オータムハンデキャップ以外で勝利を挙げることはできなかった。しかし8歳(現在の馬齢表記は7歳)時の新潟記念で58キロで2着になり単なる早熟なスプリンターではなかった。なお、京王杯オータムハンデキャップで記録した1分46秒5の日本レコードはその後12年破られなかった。レコード5回はタケシバオーと並ぶJRA記録である。
引退後種牡馬となるが、国産種牡馬不遇時代故に繁殖牝馬が集まらず、目立った活躍馬はいない。代表産駒はスガヒスイ。父は偉大なるシンザンであるが初期の活躍馬である同馬が極端に道悪馬場が苦手でありシンザンの産駒は皆、道悪下手というレッテルが貼られた感がある。もっともシンザン最高の代表馬ミホシンザンも極端に下手な為、間違いではないという説もある。
[編集] 血統表
スガノホマレの血統 (ボワルセル系(セントサイモン系)/Gainsborough5×5=6.25%、Blandford5×5=6.25%) | |||
父
シンザン 1961 鹿毛 |
*ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
ハヤノボリ 1949 栗毛 |
ハヤタケ | *セフト | |
飛竜 | |||
第五バツカナムビユーチー | *トウルヌソル | ||
バツカナムビユーチー | |||
母
モトコ 1958 黒鹿毛 |
*ライジングフレーム Rising Flame 1947 黒鹿毛 |
The Phoenix | Chateau Bouscaut |
Kircubbin | |||
Fille de Poete | Firdaussi | ||
Fille d'Amour | |||
*ノマディック Nomadic 1945 鹿毛 |
Lo Zingaro | Solario | |
Love in Idleness | |||
Lady Advocate | Solicitor General | ||
Toti dal Monte F-No.7-e |
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