スレチコ・カタネッツ
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スレチコ・カタネッツ(Srečko Katanec、1963年7月16日 - )は、スロベニア・リュブリャナ出身の元ユーゴスラビア代表サッカー選手(MF)、現マケドニア代表監督。
NKリュブリャナでキャリアをスタート。その後ライバルチームでもあったオリンピア・リュブリャナへ移籍してプレー。1984年のロサンゼルスオリンピックでは代表の一員として銅メダルを獲得した。その後ディナモ・ザグレブへ移籍。1988-1989シーズンはシュトゥットガルトでプレーし、UEFAカップではディエゴ・マラドーナ擁するナポリに決勝で敗れたものの準優勝を果たす。
1989-1990シーズンにセリエA・サンプドリアへ移籍。翌シーズンのリーグ優勝に貢献。1991-1992シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグでFCバルセロナに決勝で敗れたが準優勝を果たした。
また、ユーゴスラビア代表として1990年のイタリアW杯に出場。現サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム率いるチームの下、ドラガン・ストイコヴィッチらとともにベスト8入りに貢献した。
1994年に選手生活を引退、U-21スロベニア代表やヒット・ゴリツァを率いた後、1998年に34歳の若さにしてスロベニア代表監督に就任。EURO2000、2002年の日韓W杯へそれぞれ初出場に導いた。また日韓W杯では初戦のスペイン戦終了後に当時の主力選手であったズラトコ・ザホヴィッチがカタネッツを批判したため、代表から外した。
その後、代表監督を辞任。オリンピアコスの監督を経て、現在はマケドニア代表を率いている。
[編集] 選手経歴
- NKリュブリャナ(ユーゴスラビア)
- オリンピア・リュブリャナ(ユーゴスラビア)
- ディナモ・ザグレブ(ユーゴスラビア)
- パルチザン・ベオグラード(ユーゴスラビア)
- シュトゥットガルト(西ドイツ) 1988-1989
- サンプドリア(イタリア) 1989-1994
- ※国名は当時