セオドア・C・ソレンセン
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セオドア・チェイキン“テッド”ソレンセン(Theodore Chaikin "Ted" Sorensen、1928年5月8日-)はアメリカの弁護士、作家である。ケネディ政権の大統領特別顧問を務め、同大統領のスピーチライターとしての功績が有名である。「ケネディの分身」といわれた。
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[編集] 生い立ち
ネブラスカ州に生まれたソレンセンは1945年にリンカン高校を卒業後、ネブラスカ大学に入学、同大学のロー・スクールで学んだ。
1953年にジョン・F・ケネディが上院議員になると、その後10年間彼とともに行動し、彼の最も親密な助言者となった。また、ケネディのピュリッツァー賞受賞作品「勇気ある人々」のリサーチなどに大きな役割を果たした。
[編集] ケネディ大統領特別顧問
ソレンセンはケネディ大統領のスピーチライターを務めた。彼の最も有名な功績は、ケネディ大統領の就任演説である。彼が草稿を書いたケネディ大統領就任演説中の「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ」というフレーズはケネディ政権を象徴するものとして今日まで人々の記憶に残っている。
彼はケネディ政権最大の黒星となるピッグズ湾事件に関する会議には参加しなかったが、この失敗を悔やんだ大統領の要請によりその後は外交政策に関わる会議に参加した。このため、彼はキューバ危機において、ソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフへの書簡の草稿作成などで重要な役割を果たし、またその後のソ連との緊張緩和政策にも大きな役割を果たした。
[編集] ケネディ大統領暗殺後
1963年11月のケネディ暗殺後、ソレンセンはホワイト・ハウスを去り、1965年ケネディ大統領の伝記「ケネディ」を著した。この本は世界的なベストセラーとなり、多くの言語に翻訳された。ヴェトナム戦争の泥沼によりアメリカの国際的信用が失墜し、国内情勢が悪化すると、アメリカ再建の願いをこめて「ケネディの遺産」を著した。この中でソレンセンは、アメリカが再び世界の尊敬を取り戻すには"ケネディの遺産"を継承するしかないと訴えている。「ケネディ」、「ケネディの遺産」はケネディ政権中の政府内の出来事を知る上で貴重な文献となっている。
1968年にジョン・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディが大統領予備選に立候補すると、ソレンセンは彼の選挙参謀として精力的に働いた。
1970年、ソレンセンはニューヨーク州から上院議員選挙に出馬したが敗退した。また、1977年、ジミー・カーターが大統領に就任すると、カーターはソレンセンをCIA長官に指名したが、上院での承認が得られなかった。ソレンセンはCIAを改革できるという期待もあったが、同時に彼は経験不足でCIAを動かすのに適する能力を備えていないと考えられた。カーターは代わりに海軍大将スタンスフィールド・ターナーをCIA長官に任命した。彼の政権下では外交上の失敗が相次ぎ、CIAの能力低下が指摘された。 その後彼は弁護士として働きながらもリベラル陣営のスポークスマン的役割を果たした。また、米政府の外交政策に大きな影響を持つ民間シンクタンク、外交評議会(CFR)のメンバーを務めた。
[編集] 著書
- Decision-making In The White House (1963)
- Kennedy (1965) (訳:大前正臣 「ケネディの道―未来を拓いた大統領」サイマル出版会 1987)
- The Kennedy Legacy (1969) (訳:山岡清二 「ケネディの遺産―未来を拓くために」サイマル出版会 1970)
- Watchmen in the Night : Presidential Accountability after Watergate (1975)
- A different kind of presidency: A proposal for breaking the political deadlock (1984)
- Let the Word Go Forth : The Speeches, Statements and Writings of John F. Kennedy, 1947-1963 (1988).
- Why I am a Democrat (1996)
[編集] 関連項目
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