ゼノビア (パルミラ女王)
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ゼノビアはパルミラ(現シリア)の王妃、女王。(生没年不詳) 歴史家から「戦士なる美の女王」と謳われている。旧約聖書のダニエル書11章の預言に出てくる王の一人でもある。
ローマから「諸王の王」の称号を贈られたオデナトゥスの妻。アラビアのベニサマヤド部族の長ザッバイの娘。母はギリシア人だったと伝えられる。元の名はバト・ザッバイで、後にゼノビアと名を改めた。
267年にオデナトゥスの甥のマエオニスに夫が暗殺されると、息子ウァバラトゥスの共同統治者となり、折からのローマの混乱に乗じて小アジアからエジプトに至る地域を掌握した。
272年には、自らはローマ帝国皇妃の称号である「アウグスタ」を名乗り、ウァバラトゥスには「アウグストゥス」と名乗らせ、これを記念したコインまで発行し、ローマに挑戦する姿勢を見せた。
しかしローマでアウレリアヌスが帝位に就くと彼は直率するパルミラ遠征の軍を興し、272年にパルミラは陥落しゼノビアも捕らえられたといわれている。その際に、ゼノビアは、この戦争の全責任を家臣のロンギヌスの責任にしたと伝えられる。その後のゼノビアについては定かでなく、程なく病死したとも凱旋式に引き出された後イタリアで余生を過ごしたとも伝えられている。
ゼノビアは、自信をもってクレオパトラの後裔と称し、また非常に美人であったといわれている。肌は浅黒く、歯は真珠のように光っていたと歴史書には残っている。さらに、博識であり各国の言語を使いこなす一方、自ら戦場に赴いて指揮を執る勇気をも持ち合わせていたとされている。