ダディ竹千代
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ダディ竹千代(だでぃ たけちよ)は、1980年代のコミックバンドであるダディ竹千代&東京おとぼけCATSのメインヴォーカリストでありリーダーだった人物で、本名は加治木剛。この本名でカルメン・マキ&OZの楽曲の作詞を担当したこともある。
東京おとぼけCATSとしては、著名アーティストの完全パロディコピーやエレキベース担当のなかよし三郎がチョッパー奏法をあらゆる素材で奏でるという「豆腐チョッパー」など、過激なコミックバンドであったが、メンバーのテクニックは確かであり、他にもそうる透や後に竜童組に参加する川崎大(当時ラッキー川崎)らが在籍。ファンクミュージックの演奏でひけを取るものではなかった。
しかし、あまりにも過激かつ破天荒なパフォーマンスであったがために出入禁止となったライブハウスが続出。活動ベースとしては渋谷時代の屋根裏での定例ライブがあり、変わったところでは東京タワーの特別展望台で年越ライブを行なったこともある。
当時の日本の音楽界では交遊関係が広く、自らを日本ロック界のドン、もしくはロック界の笹川良一と名乗ったこともある。この件に関して本人は「本家との違いは金があるか?ないか?の違い」と語り、笑いを取っていた。特に山下達郎や竹内まりやとの関係は深く、山下から曲提供されたりおとぼけCATSのアルバムに竹内が参加したこともある。
1980年4月、深夜放送オールナイトニッポンのレギュラーとして水曜2部に登場。7月からは木曜1部に昇格。その内容は、田舎自慢を競い合う「日本のチベットを求めて」や当時ブームだった芳賀書店のビニ本プレゼントなどライブでの過激パフォーマンス同様、放送コードに抵触するか?というものであった。同年12月終了。その後の同時間帯を引き継いだのは、当時マンザイブームの最中人気絶頂であったツービートのビートたけし(北野武)であった。
東京おとぼけCATS解散後は第一線を退き、芸能事務所経営やアーティストプロデュースなど裏方に回っている。