ダミアン・オリヴァー
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ダミアン・オリヴァー(Damien Oliver、1972年6月22日 - )は、オーストラリア出身の騎手である。
[編集] 来歴
1993年、インターナショナル・ヤングジョッキーズ・チャンピオンシップに出場するために初来日。11月27日東京第10Rで1番人気のダイナミックバードに騎乗し2着となりJRA初騎乗を果たし、同年の第13回ジャパンカップで5番人気だったナチュラリズムに騎乗しJRAのGI初騎乗を果たした(9着)。1994年、ワールドスーパージョッキーズシリーズに初参戦した。2000年、6年振りにワールドスーパージョッキーズシリーズ参戦の為に来日し、園田競馬場でのインターナショナルジョッキーカップにも出場した。2001年には第46回京王杯スプリングカップ、第51回安田記念に出走したテスタロッサと共に来日するも目立った成績は残せなかった。2002年、3度目のワールドスーパージョッキーズシリーズに参戦した。2003年4月27日から5月26日に初めてJRAの短期免許を取得した。身元引受人は勢司和浩調教師と吉田勝己氏。5月4日には4番人気だったアポロバラードで勝利しJRA初騎乗から約10年でJRA初勝利をあげた。5月27日から6月26日までにも引き続き短期免許を取得した。同年のワールドスーパージョッキーズシリーズに4度目の参戦を果たし、42ポイントで2位となり、香港で行われたインターナショナルジョッキーズCSでは見事優勝。2004年5月1日から5月31日まで短期免許を取得しで来日。身元引受人は藤沢和雄調教師と駒井孝男氏。第129回天皇賞(春)では4番人気だったゼンノロブロイに騎乗し2着、第118回目黒記念では16番人気のトレジャーで2着といった活躍をみせ、6月5日から7月4日まで短期免許を更新し引き続き騎乗した。2005年3月24日、レース中に落馬し脊椎骨2本が砕ける重傷を負った。2006年、日本のポップロックに騎乗しコーフィールドカップは7着だったものの、メルボルンカップでは2着となり、見事デルタブルースとの日本馬ワンツーの片棒を担いだ。レース後、デルタブルースの岩田康誠騎手が英語を話せないので代わりにインタビューに答え、自らの日本での騎乗経験などを交え日本馬などを絶賛するコメントを残した。
[編集] 主な騎乗馬
- Mannerism/マンネリズム(1992年コーフィールドカップ)
- Paris Lane/パリスレーン(1994年コーフィールドカップ)
- Doriemus/ドリーマス(1995年コーフィールドカップ、メルボルンカップ)
- Dane Ripper/デインリッパー(1997年コックスプレート)
- Sky Heights/スカイハイツ(1999年コーフィールドカップ)
- テスタロッサ/Testa Rossa(2000年ライトニングステークス、フューチュリティステークス)
- Falvelon/ファルヴェロン(2000年~2001年香港スプリント)
- Mr. Murphy/ミスターマーフィー(2001年フューチュリティステークス)
- Northerly/ノーザリー(2001年コックスプレート)
- Media Puzzle/メディアパズル(2002年メルボルンカップ)
- ゼンノロブロイ(2004年天皇賞(春)2着)
- ポップロック(2006年メルボルンカップ2着)
[編集] 関連項目
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