ディエゴ・コラレス
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基本情報 | |
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本名 | ディエゴ・コラレス |
あだ名 | Chico (チコ) |
階級 | ライト級 |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1977年8月25日 |
出身地 | コロンビア, サウスカロライナ州 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 44 |
勝ち | 40 |
KO勝ち | 33 |
敗け | 4 |
引き分け | |
無効試合 |
ディエゴ・コラレス(Diego Corrales, 1977年8月25日- )はアメリカ合衆国のプロボクサー。元WBC認定世界ライト級および元WBO認定世界スーパー・フェザー級チャンピオン。長身で、長いリーチを存分に活かしたアウトボクサシングが得意。ただし、決して接近戦に難があるわけではなく、相手に接近戦を挑まれると果敢に受けてたつアグレッシブなボクサーである。「Chico (チコ) 」の愛称を持つ。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] スーパー・フェザー級時代
ディエゴ・コラレスは1996年3月19日に19歳でプロデビューする。1997年3月14日にはIBAコンチネンタルスーパー・フェザー級タイトルを獲得。その後も、順調に勝利を重ね無敗のまま1999年10月23日にはロベルト・ガルシアを7回TKOで破りIBFスーパー・フェザー級タイトルを獲得した。さらに3度目の防衛戦となる2000年3月18日のデリック・ゲイナー戦で3回TKO勝利し、IBAタイトルも獲得する。IBFのタイトルを3度防衛した後返上し WBCチャンピオンのフロイド・メイウェザー・ジュニアに挑戦する。しかし、この試合は10回TKOで敗れてしまい、タイトル奪取はならなかった。 その後、ノンタイトル戦を挟み、2003年10月4日にIBF指名挑戦権をかけてホエール・カサマヨールと対戦し6回TKOで敗れるが、翌2004年3月6日に再度挑戦し今度は2-1僅差判定でコラレスが勝利、空位のWBOタイトルとIBAタイトルを獲得した。
[編集] ライト級時代
ホエール・カサマヨールとのリターンマッチに勝利した後、コラレスはライト級に階級を上げる。2004年8月7日にはアセリノ・フレータスに挑戦し、都合3度のダウンを奪い10回TKOで勝利。WBOライト級タイトルを獲得した。さらに2005年5月7日にはWBCチャンピオンのホセ・ルイス・カスティージョと王座統一戦を行い、10ラウンドに2度ダウンを奪われながらも立ち上がって逆にダウンを奪うという逆転TKO勝利でWBCのタイトルも獲得する。しかし、この試合はレフェリーの試合を止めるタイミングについて論議を呼び、同年10月8日にリターンマッチが組まれる。が、今度は4回KOで敗れてしまう。この試合はWBCライト級タイトルマッチとして組まれていたが、前日の計量でカスティージョがオーバーしたためノンタイトル戦としての扱いになった。[1]WBCタイトルはコラレスの手に残ったが、防衛戦として2006年10月7日に予定されたホエール・カサマヨールとの試合に、今度はコラレスが計量オーバーし、試合直前に剥奪される。また、ノンタイトル戦として行われたその試合そのものにも12回判定で敗れてしまう。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連記事
[編集] 備考
- ^ ホセ・ルイス・カスティージョとはラバーマッチが組まれたが、この試合でもカスティージョが減量に失敗し計量をパス出来なかったため急遽試合取りやめとなってしまった。
前王者 ロベルト・ガルシア |
第15代IBF世界スーパーフェザー級王者 |
次王者 スティーブ・フォーブス |
前王者 アセリノ・フレータス |
第10代WBO世界スーパーフェザー級王者 |
次王者 マイク・アンチュド |
前王者 アセリノ・フレータス |
第7代WBO世界ライト級王者 |
次王者 アセリノ・フレータス |
前王者 ホセ・ルイス・カスティージョ |
第24代WBC世界ライト級王者 |
次王者 ホエール・カサマヨール |