トヨタ・スポーツ800
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トヨタ・スポーツ800とは、トヨタ自動車が、1965年から1969年にかけて製造した小型のスポーツカーである。超軽量構造と空気抵抗の低さで非力ながら優れた性能を発揮したことで知られる。
同時期に本田技研工業が生産していたホンダ・S600・S800(通称エスロク、エスハチ)と並び称される日本製小型スポーツカーの秀作であり、それらと区別してヨタハチの愛称で呼ばれている。
[編集] 沿革
当時トヨタが生産していた最小のモデルである大衆車パブリカのエンジンとシャシーを流用することを前提に,1962年からトヨタの系列会社である関東自動車工業で開発に着手した。なお原型のデザインは日産自動車出身で、ダットサン110/210やブルーバード310を手がけていた佐藤章蔵と言われている。
当初は「パブリカ・スポーツ」の名称で開発が進められ、非力なパブリカ用エンジンで高性能を確保するため、航空機さながらに徹底した軽量化と空力抵抗の抑制が図られた。このためオープンボディながら難易度の高いモノコック構造を採用し、市販型でも重量は僅かに580kgに抑えられている。
関東自動車工業の回流水槽で研究を重ねるなどして空気抵抗軽減を重視したデザインを企図した結果、徹底して丸みを帯びた全長3585mm×全幅1465mm×全高1175mmという小さな2シーターボディは、凄みは皆無だが大変愛嬌のある形態となった。空力対策としてヘッドライトをプラスチックでカバーしたその造形は同社の2000GTでのフォグランプ処理を彷彿とさせるが、実際には相似を狙ったわけではない。
航空機的な発想は、試作車においてドアの代わりにスライド式キャノピーを採用したことからも伺えるが、さすがに乗降や安全性の面で問題があり、市販車では通常型ドアと、より現実的な着脱式のトップとの組み合わせを採用した。ポルシェ911での同例に用いられていた呼称を流用して「タルガトップ」と呼ばれるが、実はポルシェよりも採用は早い。
当初はパブリカ用のU型(空冷水平対向2気筒OHV・700cc)エンジン流用が考えられていたが、150km/h以上を企図した性能確保には非力であり、約100ccの排気量拡大とツイン・キャブレター装備によって、790cc,45ps(エンジン形式は2U型)とした。それでも非力としか言いようがなかったが、超軽量空力ボディの効果は大きく、155km/hの最高速度を達成した。同時期に高回転高出力エンジンを700kg級の車体に搭載したホンダのS600とは、対極的な発想に位置する。
1965年から市販が開始された。発売価格は59.5万円で比較的廉価であり、当時のレースにもしばしば出場してホンダ・S600との熾烈な競争を繰り広げた。
高性能エンジンを搭載してとにかく速いが重く曲がりにくく燃料を食うS600に対し、「ポロポロポロ……」(あるいは「バタバタバタ・・・」)と気の抜けた2気筒エンジンの音を立てながら走る「ヨタハチ」は、その軽さによって操縦性が良かったことに加え、燃料消費の優秀さ、タイヤ摩耗の少なさでピットイン頻度を少なくできるという意外な強みがあり、ことにピットインによるロスタイムが勝敗に大きく影響する長距離レースではその長所を発揮した。
「ヨタハチ」による名勝負として伝説的に語られるのは、1965年7月18日の船橋サーキットにおける全日本自動車クラブ選手権レースでの浮谷東次郎の優勝である。レース中のクラッシュによって少破した浮谷のヨタハチは一時16位にまで後退しながら、その後驚異的な追い上げによって順位を一気に取り戻し、ついには先頭を走る生沢徹のホンダ・S600を抜き去って優勝した。
1969年の生産中止までの総生産台数は3131台。