ドミトリー・フォーミン
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ドミトリー・フォーミン(Dmitry Fomin、1968年1月21日-)はロシアの男子バレーボール選手。
クリミアでロシア人の父とウクライナ人の母から生まれ、5才の時にロシア移住。8歳の頃からバレーを始める。1989年、21歳でナショナルチーム入りし、日ソ対抗でデビューした。 1991年のワールドカップでは、当初のキャプテンがイタリアリーグ参加の為に来日せず、急遽フォーミンが弱冠22歳の若さで代理キャプテンを務めることになった。この大会でフォーミンはNo.1の活躍をみせ、最優秀選手賞、ベストスパイカー賞、ベスト6賞を受賞し、世界のエースとなった。1997年に一度ナショナルチームを引退し、プロリーグに専念したが、1998年に復帰。しかし1999年以降はナショナルチームに参加していない。2002年~2003年シーズンに東レ・アローズ でVリーグをするが、怪我のため試合に出場することはあまりなかった。
速攻からバックアタックまで何でもこなす幅広い攻撃力(『七色のスパイク』などと称された)と甘いマスクで日本でも人気の高い選手であった。
身長200cm。
[編集] 球歴
- ワールドカップ
- 1989年(銅メダル)、1991年(金メダル)
- 世界選手権
- 1990年(銅メダル)、1996年(7位)、1998年(5位)
- ワールドリーグ
- 1992年、1993年(銀メダル)、1994年、1995年(4位)
- ヨーロッパ選手権
- 1991年(優勝)、1995年(3位)1998年