ドミニク・ファン・ルースト
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ドミニク・ファン・ルースト |
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基本情報 |
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英語名 | Dominique Monami (旧姓) Dominique Van Roost |
国籍 | ベルギー |
出身地 | 同・ベルビエ |
生年月日 | 1973年5月31日 |
身長 | 170cm |
体重 | 55kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1991年 |
引退年 | 2000年 |
ツアー通算 | 8勝 |
シングルス | 4勝 |
ダブルス | 4勝 |
生涯通算成績 | 421勝305敗 |
シングルス | 295勝182敗 |
ダブルス | 126勝123敗 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(1997・99) |
全仏 | 3回戦(1997・98) |
全英 | 4回戦(1998・99) |
全米 | 3回戦(1991・98・99) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 9位 |
ダブルス | ?位 |
Template |
女子 テニス | ||
銅 | 2000 | ダブルス |
ドミニク・ファン・ルースト(Dominique Van Roost, 1973年5月31日 - )は、ベルギー・ベルビエ出身の元女子プロテニス選手。旧姓は ドミニク・モナミ(Dominique Monami)という。1995年にコーチのバート・ファン・ルースト(Bart Van Roost)と結婚したが、8年後の2003年に離婚し、名前を旧姓の「ドミニク・モナミ」に戻した。しかし、顕著なテニス成績の大半が結婚していた時代に出ていることから、本記事は「ドミニク・ファン・ルースト」の名前で記述する。WTAツアーでシングルス4勝、ダブルス4勝を挙げた。シングルス自己最高ランキングは9位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
プレースタイルはフォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークともほぼフラットの強打のみで、けれんみのないベースライン・プレーヤーであったが、既婚者とは思えないほどキュートでボーイッシュな風貌から多くのファンを持っていた。
9歳からテニスを始め、1991年6月に18歳でプロ入り。同年の全米オープンで4大大会にデビューし、いきなりヤナ・ノボトナとの3回戦まで進出した。続く1992年全豪オープンでも4回戦進出。しかし、その後は長期間の低迷期が続いた。1995年にバート・ファン・ルーストと結婚して「ドミニク・ファン・ルースト」と名乗るようになる。1997年の全豪オープンで、当時世界ランキング43位だったファン・ルーストは、第2シードのアランチャ・サンチェスを3回戦で破る金星を挙げた。その勢いに乗って準々決勝まで勝ち進んだが、メアリー・ジョー・フェルナンデスとの試合を途中棄権している。
1998年はドミニク・ファン・ルーストのテニス人生を通じて、最も充実した年になる。10月第2週にドイツ・フィルダーシュタットで行われた「ポルシェ・グランプリ」準々決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 6-7, 6-4 で破り、当時18歳の最年少女王を世界ランキング1位の座から陥落させる勝利を挙げた。この後ファン・ルーストは世界ランキングを自己最高の「9位」に上げ、ベルギーの女子プロテニス選手として初の世界ランキングトップ10入りを果たした。1999年の全豪オープンで2年ぶり2度目の準々決勝に進出したが、アメリ・モレスモに 3-6, 6-7 で敗れている。2000年のシドニー五輪にもベルギー代表選手として出場し、エルス・カレンズとのペアで女子ダブルスの銅メダルを獲得した。シングルスではベスト8に進出し、準々決勝でモニカ・セレシュに 0-6, 2-6 で敗れた。
1999年夏に、ベルギー女子テニスの後輩選手としてジュスティーヌ・エナンとキム・クライシュテルスの2人が相次いでプロ入りする。同年9月のルクセンブルクの大会で、ファン・ルーストは決勝で16歳のクライシュテルスに 2-6, 2-6 で敗れてしまい、彼女のプロ初優勝の相手となった。2000年全豪オープン1回戦ではファン・ルーストが勝ち、2人の対戦成績は1勝1敗となる。(エナンとは対戦なし)同年のシドニー五輪終了後、2大会に出場し、10月第3週の「ヨーロッパ室内選手権」(スイス・チューリヒ)を最後に27歳で現役を引退した。引退から3年後にバート・ファン・ルーストと離婚し、名前を旧姓の「ドミニク・モナミ」に戻している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: ベルギーのテニス選手 | 1973年生