ナイス (バンド)
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ナイス(ザ・ナイス/The Nice)は、主に1960年代後半に活動したイギリスのロック・バンド。
1966年12月、女性シンガーのP.P.アーノルドのバック・バンドとして結成。当初のメンバーは、結成の中心となったキース・エマーソン (キーボード)の他、リー・ジャクソン (ベース)、ディビッド・オリスト (ギター)、イアン・ヘーグ (ドラムス)の4人だったが、同月下旬にドラムスがブライアン・デヴィソンに交代した。
当初は「パット・アーノルド・アンド・ハー・ナイス」として活動を開始したが、ステージの半分はナイス単独のライブ演奏だったと伝えられている。さらに1967年9月、パット・アーノルドが本国アメリカに帰国する事になった為、ナイスは独立バンドとなり、マーキー・クラブなどに定期的に出演する様になる。同年11月にはデビュー・シングル「The Thought og EMERLIST DEVJACK」を、翌1968年1月にはシングルと同名のアルバム(邦題は「ナイスの思想」)をリリースした。同年7月にリリースしたシングル「アメリカ(ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」挿入歌のカバー)」がヒットし、ナイスは少しずつ軌道に乗っていく。
セカンド・アルバム「少年易老学難成」の録音後、ギターのデヴィッド・オリストが脱退、ナイスはキーボード・トリオとして再スタートする。アルバムは1969年4月に発売され、同年7月にはアメリカ公演を行った。この時のライブと新たなスタジオ録音を組み合わせ、同年8月にサード・アルバム「ザ・ナイス」をリリース。
サード・アルバムのリリースの後、キース・エマーソンは、ニューヨーク・シンフォニーの指揮者で、かねてからポップ/ロック・グループとの共演を望んでいたジョセフ・イーガーとコンタクトし、公演を実現した。それらの何曲かが、4作目の「フェアウェル・ザ・ナイス/組曲『五つの橋』」に収録されている。この頃からキース・エマーソンとリズム・セクションの2人との間で音楽的な意見の相違が表面化し始めた。組曲『五つの橋』をリリースした後、ナイスはキング・クリムゾンと一緒にアメリカ・ツアーを行ったが、そこでキース・エマーソンはグレッグ・レイクと出会う事になる。グレッグ・レイクはこの年の暮れにキング・クリムゾンを脱退し、キース・エマーソンとの新バンド結成に尽力するが、契約問題もあって、この動きは公表されなかった。
1970年2月、五作目の「エレジー」をリリースしたナイスは、1972年のミュンヘン・オリンピックのイベントへの出演なども予定されていたが、4月になって解散が正式に発表され、キース・エマーソンはグレッグ・レイク、そしてアトミック・ルースターのカール・パーマーとともに、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの結成に向けて準備を開始した。
一方、リー・ジャクソンは「ジャクソン・ハイツ」、ブライアン・デヴィソンは「エヴリ・ウィッチ・ウェイ」をそれぞれ結成したが、どちらもうまくいかなかった様である。この後、ナイスの再編を意図したリー・ジャクソンとブライアン・デヴィソンは、スイスのキーボード・プレイヤー、パトリック・モラーツを引き入れ、1973年に「レフュジー」を結成、1974年にはバンドと同名のアルバムでデビューしたが、その直後、脱退したリック・ウェイクマンの後任としてパトリック・モラーツがイエスに引き抜かれ、活動停止を余儀なくされた。