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エマーソン・レイク・アンド・パーマー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エマーソン・レイク・アンド・パーマー (Emerson, Lake & Palmer) は、キース・エマーソングレッグ・レイクカール・パーマーの3人により、1970年に結成されたイギリスプログレッシブ・ロックの1バンド。ELPもしくはEL&Pと略される。

目次

[編集] 概要

クラシック音楽に傾倒し、ムソルグスキー作曲の『展覧会の絵』を独自に編成した曲と間奏曲で構成したライブアルバムを発表したり、シンセサイザーを導入したことでいわゆるプログレッシブ・ロックに分類される。

各人がほかのバンドですでに名声を得ていたことで「スーパー・バンド」、あるいは「スーパー・グループ」と呼ばれるバンドのひとつ。

最もクリエイティブな時期(ピーク)は、結成時から1974年のライヴ発売時までといわれている。この間に4作のスタジオ録音アルバムと2作のライブ・アルバムを発表し、その全てが母国イギリスでトップ5圏内に、アメリカでトップ20圏内に入った。1972年に来日も果たし、後楽園球場で約35000人を集めたコンサートを行っている。

クラシックを取り入れたユニークな音楽性と演奏スタイルが支持され、プログレッシブ・ロックの代表的なバンドとして、今なお熱狂的なファンが存在する。また、全盛時は音楽性よりもルックスからと思われる女性ファンの人気も高かった。当初はギタリスト(ジミ・ヘンドリックスという説もあるが彼はこれに承諾しなかった)の加入も計画にあったが、結局はギター不在のキーボードトリオ編成(キーボードベースドラムス)となり、そのパイオニア的存在ともなった。

その話題性や名声の高さ、演奏技術の高さなどからイエスキング・クリムゾンピンク・フロイドとともにプログレッシブ・ロック四天王、あるいはさらにジェネシスを加えてプログレッシブ・ロック5大バンドと呼ばれることがある。

[編集] 成立の経緯

1966年12月に、パット・アーノルドというシンガーのバック・バンドとして結成されたナイスは、翌年に独立バンドとしてデビューした。そのリーダーでキーボードのキース・エマーソンは、活動を通じてナイスの2人と音楽的な意見に相違が出始め、4作目の「組曲・五つの橋」のリリースと前後して、新しいバンドの可能性を模索し始めた。 その一方、1969年イギリスキング・クリムゾンがデビューした。発売当時、ビートルズの「アビー・ロード」をしのいでアルバム・チャートのトップになった程売れ(ただしこれは伝説であり、確認は出来ていないとの意見もある)、今なおプログレッシブ・ロックを語る上で欠かせないと言われるのが、デビュー・アルバムの「クリムゾン・キングの宮殿」だが、このアルバムでベースとヴォーカルを担当したのがグレッグ・レイクだった。

1969年暮れ、デビュー後初のクリムゾンのアメリカ公演で、アメリカのファンの気質と求めるサウンドを察知したグレッグ・レイクは、クリムゾンよりも更にアメリカで売れそうなサウンドを求め始めた。この時の公演中の「フィルモア・イースト」で「ザ・ナイス」と共演する機会があり、この時、キーボードのキース・エマーソンと意気投合したと伝えられている。

1970年の2月に意見を交換しはじめ、お互いに現在のバンドを離脱し、新しいバンドを結成する計画を進めた。同年4月、当時「アトミック・ルースター」というバンドにいたカール・パーマーがドラムスにスカウトされ、3人の陣容が整った。

トリオ編成にする事を結論づけたため、音楽表現の拡大方法について意見が対立した。キース・エマーソンはオーケストラの導入を目指しており、これは1970年代の後半に実現したが、グレッグ・レイクは3人という編成を崩さず、モーグ・シンセサイザーを導入してサウンドに変化を与えるべきだとエマーソンに提案した。この提案が採択され、結果として彼らの音楽的個性の結実に繋がる事となる。

バンド名は当初「Triton(トリトン或いはトライトン)」にするというアイディアもあったらしいが、結局3人のファミリー・ネームを年齢順に並べた「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」となり、1970年6月、結成が公表される。3者とも既にロック・シーンにおいてかなりの知名度と人気を獲得していたため、デビュー当時からマスコミの注目度も高く、「スーパー・グループ」と呼ばれていた。

[編集] 1970年~1974年

[編集] 1970年

1970年8月23日、ELPはプリマス・ギルド・ホールで記録上のデビュー・ステージを行う。ただしキース・エマーソンによると、これはウォーム・アップであり、ELPの実質的なステージ・デビューは、さらにその6日後の8月29日ワイト島で開催された「第3回ワイト島ポップ・フェスティバル」。このステージの方が大きく報道された事や、このすぐ後(9月18日)に、競演したジミ・ヘンドリックスが死亡した為、後日、このフェスティバル自体がウッドストックと同様伝説的な意味合いを持つに至り、それに連動した形で、こちらをデビュー・ステージと記録している資料も多い。ジミ・ヘンドリックスの他、ムーディー・ブルースドアーズ等とも共演と記録されている。観客には好評だったが、評論家は概ね否定的だった。

以後ELPはコンサート活動を行いながら、平行してデビュー・アルバムの制作を進めていた。この間、キース・エマーソンはメロディー・メーカー誌の人気投票でトップとなり、バンドもブライテスト・ホープ一位を獲得している。

同年11月20日に「アイランド・レコード」から(アメリカでは翌年1月に「アトランティック・レコード」から)、バンド名と同じ名前のデビュー・アルバム「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」がリリースされ、その直後からイギリス・ヨーロッパ・ツアーを3週間かけて行った。

[編集] 1971年

翌1971年に入り、早くも次のアルバムのリハーサルが開始されたが、それが終わって開催された3月26日のニュー・キャッスル・シティ・ホールで、「展覧会の絵」のライブ録音を行った。ただし、次回作の企画とリハーサルが既に進行している事もあって、このライブ音源はリリース未定となってしまう。4月には初のアメリカ公演ツアーが行われた。

1971年5月(アメリカでは6月)、デビュー・アルバムから僅か半年で、ELPはセカンド・アルバムの「タルカス」を発表した。このアルバムは、音楽作品としての評価も高いが、同時にELPが本格的にシンセサイザーを活用し始めた記念碑的作品と位置づけられている。この頃のシンセサイザーは、多くのミュージシャンに強い興味を持たれてはいたが、実際にどう使ってよいのか判らないという者が多く、ミュージック・コンクレートの様な風変わりな電子音を出すか、ウォルター・カーロスやホット・バターの様な「多重録音によるシンセサイザー音楽」などが実際の使用方法として幅を利かせていた。ステージに持ち込んで「楽器」としての可能性を提示したのは、ELPが最初であると思われる。6月にはフランクフルトのオーケストラとバレエ・カンパニーとの共演で「展覧会の絵」を演奏するイベントを含むヨーロッパ・ツアーが行われた。

これらの精力的な活動によって、ELPの人気と知名度は、この年飛躍的に上昇したと言って差し支えないと思われる。9月のメロディー・メーカー誌恒例人気投票では前年のレッド・ツェッペリンに代わって首位になり、『タルカス』もアルバム部門で一位を獲得している。

だが、人気グループになった以上、ELPが海賊盤業者のターゲットとなるのは当然の帰結であった。3月に収録したまま発表未定となっていた「展覧会の絵」のライブ演奏が、ブートレッグとなって出回りだしたのである。この時点でのELPの録音作品とは一線を画した内容である事、及び様々な事情から発表はされないままだったが、作り手の都合とは別に、それが例え違法であっても、聴いて面白いと思える作品なら買うファンは間違いなく存在する。この事実に対処する必要に迫られたELPサイドは、10月から市中に出回っているブートレッグを回収しはじめ、11月になって正規盤の「展覧会の絵」をリリースした。

作り手にとって不本意な形でリリースする事になった「展覧会の絵」は、それにも関わらず大ヒットとなった。本国イギリスやアメリカ、ヨーロッパ、そして日本でも売れまくり、その時点での洋楽のアルバム累計でトップに立ったと言われている。経緯はどうあれ、1年で3枚ものアルバムをリリースし、しかも全てが大きなセールスを上げた事は間違いの無い事実である。

[編集] 1972年

年が明けてすぐ、ELPはニュー・アルバムの録音を行ない、3月にはアメリカ・ツアーを行ったが、このツアーでエマーソンはモーグの工場を訪ねてシンセサイザーの拡充を行い、特にシンセ・ベースの可能性を模索し始めたと伝えられている。次回のスタジオ録音の時に、これらは結実する事となる。

6月に、通算4枚目、スタジオ録音盤としては3枚目となるアルバム「トリロジー」がリリースされ、直ちに世界規模ツアーが開始された。そして7月13日、ELPは来日し、22日に後楽園球場で、24日には阪神甲子園球場で屋外コンサートが開かれた。記念すべき初来日コンサートだったが、後楽園では台風の影響でモーグを初めとする機材の調子が悪く、甲子園球場では観客がステージになだれ込み、途中で中止になると言う事件があった。

[編集] 甲子園の乱入事件で露呈されたもの

甲子園球場での来日公演での演奏途中で、見ていた観客の一人が客席の前のフェンスを乗り越えてステージに走り出し、連鎖反応で多くの観客がステージになだれこんだ結果、会場側が強制的に電源を切り、演奏中止という事態に発展した。カールー・パーマーのドラムソロの途中の事だったので20分以上ドラムを叩き続け、最後に一礼をして退席した。当時の日本のロック・コンサートは、客の側も警備の側も、何をどこまでやって良いのかわかっていないに等しい状態であった。ビートルズのコンサートでもわかる通り、球場や武道館レベルのコンサートでは観客はいわゆる「外野席」「観覧席」から中には入れなかった。理由は当時の時代背景としての「ロックは不純」という思考回路が元であり、神聖な武道、野球をするところにロックを演奏するのはけしからん、ということである。ロックコンサートに対する警備法が確立されないまま時は過ぎ、それから数年後の1978年に、レインボーの札幌公演でロック史に残る「悲劇的な事件」が発生することになる。

9月に入り、ELPは再びメロディー・メーカー誌の人気投票で一位を獲得した。各メンバーも担当楽器部門でそれぞれ一位を獲得している。10月にはこの年初のイギリス・ツアーが行われたが、その間、グレッグ・レイクは元キング・クリムゾンピート・シンフィールドのソロ・アルバム制作に参加している。このツアーで、カール・パーマーはドラム・シンセサイザーを初めて使用している。

[編集] 1973年

1月、マンティコア・レーベルの発足が正式に発表される。このレーベルはELPの他、イタリアのプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)ピート・シンフィールド、ELPの前座を務めたストレイ・ドッグ等と契約している。尚、これに伴い、ELPのイギリスでのリリースはアイランド・レコードからWEAに移動した。

2月には、後に「恐怖の頭脳改革」と題されるニュー・アルバムのレコーディングが開始される。だが、レコーディングの途中でワールド・ツアーが始まり、しかもそれがヨーロッパ公演を終えたところで中止されるというちぐはぐな状況が連続して起こる様になり、グループの活動のコンビネーションは次第に調子が落ちていく。特にキース・エマーソンは音楽的な行き詰まりを感じ始めており、6月に渡米してスーパー・モーグ(ポリ・モーグの試作機と言われている)のテストを行うなど、様々な可能性を模索していた。

9月のメロディー・メーカー誌の人気投票で、グループ部門では、「こわれもの」や「危機」を発表して進境著しいイエスに抜かれ、キース・エマーソンもキーボード・プレイヤー部門でリック・ウェイクマンに首位を明け渡している。

11月に、マンティコア・レーベルの作品としては初めてのELPのアルバム「恐怖の頭脳改革」が発表され、同時にアメリカ・ツアーが行われた。

[編集] 1974年

3月から開始されたヨーロッパ・ツアーの後、4月にはアメリカに渡り、今でも語り草となる「カリフォルニア・ジャム」に出演した後、イギリスに帰国し久しぶりの国内ツアーを行った。

7月になると、1973/1974年のツアーの音源から、3枚組LPのライブ・アルバム「レディース・アンド・ジェントルメン」がリリースされた。原題の「Welcome Back My Friends To The Show That Never Ends...Ladies and Gentlemen」は、1974年4月18日に行われたウェムブリーでのコンサートに於いて、司会のアラン・フリーマンが言った言葉が使われている。元々は「恐怖の頭脳改革」収録の「悪の経典#9」の歌詞の一部である。

8月まで行われたアメリカ・ツアーを最後に、ELPは活動を中止した。その後、1977年まで、ELPはグループとして活動といえる様な活動をしていない。

[編集] 1977年~1980年

[編集] 1977年

1974年夏のアメリカ・ツアーのあと、ELPのメンバーとしての多忙さに嫌気がさしたキース・エマーソンは、自作の「ピアノ協奏曲第1番」の制作に携わっていたが、様々な事情からソロ・アルバムではなく、グレッグ・レイクやカール・パーマーのソロ企画と合体し、アメリカとイギリスでは3月、日本では4月に、再始動アルバム第一弾の「ELP四部作」として世に出る事となった。このアルバムはLPでは2枚組4面で、その内3面が各人のソロ、終わりの4面がELPとしての作品になっており、バックに実物のオーケストラを起用している。非常に変則的な内容だが評価は高く、セールス面でも好調だったようである。なお、キース・エマーソンはこのアルバムにおいて、従来のハモンド&モーグのスタイルに変え、ヤマハ製エレクトーン「GX-1」(実質的にはポリフォニックシンセサイザー)を全面的に使用している。

だが、同時に行われたオーケストラ帯同のコンサート・ツアーは、好評ではあったものの、結果的には失敗に終わった。マジソン・スクエア・ガーデンでの3日間と、それに続くカナダモントリオールでのオリンピック・スタジアムでのコンサートはうまく行った様であり、後者は後に「ELPイン・コンサート」としてライブ・アルバムとビデオ・ソフト化が実現した。

また、この後オーケストラを帯同しないライブ・ツアーに変更されたが、この模様は、1997年にリリースされたCD「キング・ビスケット・ライブ」などで聴く事が出来る。

オーケストラ帯同ツアーの失敗の理由は、当初は「経費のかかりすぎ」だと言われていた。現在でも最も大きな理由はそれだとされているが、1994年にリリースされたアルバム「イン・ザ・ホット・シート」の日本盤ライナー・ノーツによると、ELPに対するオーケストラの「連中」の冷たい態度や、時間外演奏の拒否といった面で問題があった様である。

同年11月、前作の続編という形で「作品第2番」がリリースされたが、収録された12曲の内のかなりの数が、何年も前に作られた曲であり、どちらかというと「落穂拾い」の印象が強い。

[編集] 1978年

もはやメンバーそのものが、この時点でのELPの活動を続行するのに否定的だった。3人は次のアルバムを製作中に、それを最後にELPを解散させる事に合意していた。そのアルバムは、税金問題などの絡みもあってイギリス国内ではなくバハマで制作された。これが、コアなELPファンから嫌われている事で有名な「ラブ・ビーチ」である。9月にアルバムが発表された後も、プロモーション・ツアーは行われなかった。

[編集] 1979年

10月にライブ・アルバム「イン・コンサート」がリリースされた。1977年のモントリオールでのライブ公演を収録している。

[編集] 1980年

2月、ELPの解散が正式に発表される。

[編集] 解散後の経緯

1980年-1984年

アルバム「ラブ・ビーチ」リリースから約1年半後の1980年、ELPは解散声明を出した。このアルバムはセールス的にも芳しくなく(全英48位/全米53位)、また本人たちも創作意欲に欠けていた為、つくり手にとっても聴き手の多くにとっても満足のいく出来にはならなかった。だが、後の、エイジアなどといった、「プログレッシヴ・ロックの産業ロック化」に繋がる音楽の先駆けとして、後付けながらも、一部の評価はあった。

1981年までバハマに残ったキース・エマーソンは、そこで映画音楽やソロ・アルバムなども手がけていた。グレッグ・レイクは、全く方向性の異なるギタリストのゲイリー・ムーアなどとアルバム2枚をリリースし、その間に、双方のキャリア上の代表曲を交えたライヴツアーを行う。また、エイジアにも一時期在籍している。セカンド・アルバムとサード・アルバムの中間であった為、レギュラー・アルバムには関わっていないが、来日公演ライヴの模様を収めた「エイジア・イン・エイジア」というライブ・ビデオに登場している。カール・パーマーはPMを経て、スティーヴ・ハウジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン)、ジェフ・ダウンズエイジアを結成。曲作りにはほとんど参加していないが、レコードセールス的には、元メンバー中、最も成功する。

1985年/1986年

1980年代半ば、再結成の話が出た際に、ドラマーのカール・パーマーが、前述のエイジアがらみで応じず、変わりにコージー・パウエルが加入し、1986年、「エマーソン・レイク・アンド・パウエル」(省略するとEL&Pになる)として正式に活動した時期もある。この省略形を用いる事、並びにこのバンドをELPと捉えるかどうかについて言えば、カール・パーマーは否定している。(ELPという省略形と、ELPのロゴを使用しないという条件で両者は合意している。)だが、キース・エマーソンのインタビューでの発言、あるいはこのバンドでのライヴの演奏曲目(全盛期の作品を演奏している)からも、ファンの間では、いずれもEL&Pである」とする解釈が主流。このバンドは1枚のアルバムリリースと一度のライヴツアーで解散。

1987年/1988年

 コージー・パウエルが抜けた時エイジアの人気が落ちていた為、キース・エマーソンとグレッグ・レイクはカール・パーマーにコンタクトし再結成に向けてリハーサルを開始したが、すぐにグレッグ・レイクが離脱してしまう。キース・エマーソンとカール・パーマーは、マネージャーのブライアン・レーンから紹介されたロバート・ベリーと共に、同じくトリオ編成の「3(スリー)」を結成、1988年にアルバムスリー・トゥ・ザ・パワーを出すが、ライヴツアー後に解散。

1990年-1995年

キース・エマーソンもグレッグ・レイクもソロ・アルバムのリリースを目指していたが、それでは売り上げが見込めないという理由でレコード会社が難色を示していた。2人は話し合いの末再結成を決意、1992年に「ブラック・ムーン」をリリースする。この時契約したヴィクトリー・レコードは過去のELPのアルバムの版権も取得し、4枚組CDボックス・セットのThe Return of the Manticoreをリリースしている。さらに1994年に「イン・ザ・ホット・シート」といったアルバムもリリースし、その間、世界的なライヴツアーを行い、約20年ぶりの再来日公演も果たす。新作の売れ行きが不振だったせいもあって、東京でのライブは、当初は2~3000人規模の会場で3日間だけ予定されていたが、発売とほぼ同時にチケットは完売した。追加公演が組まれたが、これもすぐに完売。再追加公演が決定した。この事態の原因は諸説あるが「新作よりも全盛期の作品をオリジナル・メンバーの生演奏で聴きたい」というファンがプロモーター側の予想を超えて多かったのではないかと思われる。

1996年以降

断続的にライヴツアーを行い、1997年のモントルーではライブ・ビデオも制作したが、その後はバンドとしてのライヴ活動はなく、メンバー各々の、ソロバンドとしてのライヴツアーが中心となる。目立った活動としては、2002年、グレッグが、元ビートルズリンゴ・スター中心の、米国ツアーに参加している。同じ年キースはザ・ナイスの復活ツアーやキース・エマーソン・バンドのツアーを敢行、2004年12月4日公開の『ゴジラ FINAL WARS』の音楽などを担当している。

[編集] 音楽上の大きな特色

[編集] クラシック音楽の導入

ELPはベーラ・バルトークのアレグロ・バルバロ、ムソルグスキーの「展覧会の絵」やチャイコフスキーの「ナットクラッカー(ELPは「"crack"を"rock"ともじり「ナットロッカー」としたくるみ割り人形)」、アルベルト・ヒナステラのピアノ協奏曲第1番(この編曲はヒナステラ本人からも絶賛された)、そしてエマーソン・レイク・アンド・パウエルとして再結成した時にはホルストの「惑星」から「火星」などのクラシック曲をロック風にアレンジしている。こういったコンセプトや選曲は、キースが、ELP以前に在籍していた「ザ・ナイス」にいた当初から行ってきたものであり、このバンドでも大きなテーマとして引き継がれているものである。

[編集] キーボード・トリオ

ELPのレギュラーなバンド構成は、キーボードエレクトリックベース(+ヴォーカル)、ドラムスである。通常、ロック・サウンドを構築するには、ギタリストは欠かせないものであったが、このバンドのレギュラーな構成の場合は、ギター・サウンドはない。これが稀有な例である理由として、ロック・ギターの歪んだ音によって得られる「破壊的パワー」が出しにくい事。そしてキーボード・プレイヤーは、その扱う楽器の構造上どうしてもステージを自由に動き回れず、更に、演奏する時うつむく姿勢にならざるを得ない為、ロックにとって重要な要素である「カッコよさ」が演出しにくい、という点が挙げられる。音楽面とビジュアル面の双方で、キーボード・トリオには上記の問題点が存在していた。

キーボード担当のエマーソンは、この点を克服する事が出来た。まず音であるが、オルガンをやり過ぎなレベルで歪ませ、2ndまたは3rdパーカッション(鍵盤を押した時の電子的なクリックノイズ)を敢えて強調し、本来はジャズやクラシック目的であったオルガンをロックで衣装するための方法をとった。そしてムーグシンセサイザーの音色の訴求力をも活用した。ステージ映えという点では、エマーソンはC3やL100という2台のハモンドオルガンをステージで使っているが、軽量な方のL100の出力にギター・アンプを使用し、そこから不協和音を鳴らして破壊的なイメージのサウンドを出した。さらに当時のハモンド・オルガンの機械上の構造を活用し、ステージでL100を大きく揺らしたり倒したりして、擬似的な機能不良による悲鳴の様な音を出した。この様子と、キーボードにナイフを突き立てるという演出が合体し、エマーソン独特のステージ・アクションが出来上がった。これは、ギタリストのジミ・ヘンドリックスが、ギターを歯で弾いたり破壊したり燃やしたりしたステージ・アクションのキーボード版と言ってよく、それゆえエマーソンを「オルガンのジミ・ヘンドリックス」と呼称する者もいるが、どちらもステージ映えする事は間違い無く、観客は拍手喝さいを贈った。

キーボードの弱点が克服されると、逆にキーボード・トリオである事の長所が活用出来る様になる。「ギター、ベース、ドラム」といった、俗にいう「ギタートリオ」とのサウンド面での大きな違いは、キーボードのソロ演奏中も、左手によるキーボードのバッキングが鳴っている点である。音楽の三大要素である「リズム」「メロディー」「ハーモニー」のうち、ベースとドラムスがリズム・セクションであるとすると、トリオで主にメロディーとハーモニーの両者を担当するのがギターかキーボードという事になるが、ギターは片方の手(指)で弦を押さえ、もう片方で弦を弾くという構造であるため、特殊な奏法を駆使しない限り、両者を同時に担当する事は出来ない。だがキーボードは、片手だけでメロディーかハーモニーを成立させる事が出来るので、修練を積めば両方同時に担当する事が可能となる。

また、片手でベース・パートを受け持つ事によって、グレッグ・レイクがギターを担当する場合でもベースの領域をカバーする事が出来る為、表現方法の拡大が容易となる。

ところで、エマーソン自身は最初から「ギターなんか不要」と思っていたわけではないらしい。当初4人編成だったザ・ナイスからギタリストが脱退した際、後任としてスティーヴ・ハウの参加がほぼ決まりかけていたが、ハウのイエス参加によって実現しなかった。後にエマーソンは「彼がギターでやることといったら本当に素晴らしくて、僕は彼と組めないんだったらもうギタリストは要らないと思った」と語っているので、キーボード・トリオという構成はここで決まったと言える。また、ジミ・ヘンドリックスについても「長続きは無理だったろうが一度組んでみたかった」と語っており、このレベルのギタリストがいたとしたらナイスやELPはキーボード・トリオではなかったのかもしれない(その他、ブライアン・メイについても高く評価していた)。

[編集] モーグ・シンセサイザー

オルガンの使用方法に加えてELPサウンドの決定的な要因となったのが、当時開発されて間もない「モーグ・シンセサイザー」を導入した事。それ以前にシンセサイザーをロックに使用した例はあったが、超現実的な電子音を「カッコいい」という領域で駆使したのはキース・エマーソンが初めてと言ってよい。ただし、新しく結成するバンドにモーグ・シンセサイザーを導入して表現領域を拡大しようと提案したのはグレッグ・レイクで、オーケストラの導入を主張していたキース・エマーソンは当初懐疑的だった。この時、イギリスのオリンピアで丁度「インターナショナル・オーディオ・アンド・ミュージック・フェア」というイベントが開催されており、モーグも幾つかの機種を出品していた。グレッグ・レイクに連れられる形で会場に出向いたキース・エマーソンは、そこでロバート・モーグ博士と出合う。

この頃の事情についてキース・エマーソンは「ハモンドオルガンの良さやピアノの繊細さは大事だが、1万人の観客の心を一瞬でつかむ為には、もっと劇的で驚異的なサウンドを持つ楽器が必要だった。その点、モーグは圧倒的な威力を持っている」という意味の発言を口にしている。

キース・エマーソンは、ELPを結成する直前の1970年3月9日、オーケストラとの共演でザ・ナイスとして最後のコンサートを行った。エマーソンがモーグ・シンセサイザーをステージで演奏したのは、この時が初めてと思われる。

[編集] レイクの多才ぶり

エマーソンのキーボード・プレイの派手さに隠れて見過ごされがちだが、グレッグ・レイクの多才ぶりもELPの存在において重要な意味を持っていると思われる。グレック・レイクのベースが、フレーズ的にはギターサウンドの代用をするときも多く、後に8弦ベースを使用する際には、さらにその傾向が高まった。さらにピークのころのライヴでは、上記の様にベースラインをキーボードのキースにまかせ、グレッグ自らエレキギターを弾くこともあった。グレッグ・レイクがアコースティックギターでの弾き語り的なバラード調/トラッド風の唄/演奏を行う場合は、他の2人がバックに廻る、という演奏形態を採る。

[編集] カール・パーマーのドラムセット

カールは非常に金のかかったドラムセットを開発させた。これは背後に二つの巨大なドラ、頭上に鐘がぶら下げてあり、これで両手でドラを叩きながら口で紐を引いて鐘を鳴らすというパフォーマンスをやってみせた。さらには、セット全体が回転したりフラッシュライトが焚かれたり、電子音のフレーズを発したりと、ほとんどびっくりどっきりメカのような代物だった。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] 前期

[編集] 後期

[編集] Emerson,Lake and Powell

[編集] 3(スリー)

[編集] 再結成期

[編集] コンピレーション or ベスト

  • 1980 ベスト・オブ・EL&P
  • 1991 The Atlantic Years
  • 1993 The Return of the Manticore (Box Set・7曲の特典音源入り)
  • 1994 THE BEST OF EMERSON,LAKE AND PALMER (WEA/Rhino版)
  • 1999 ベスト・オブ・EL&P 1999年ビクター・エンタテインメント版
  • 2001 The Very Best of Emerson, Lake & Palmer
  • 2002 Extended Versions
  • 2003 Gold Collection
  • 2004 Ultimate Collection
  • 2004 An Introduction To...
  • 2005 Lucky Man and Other Hits

[編集] 過去のライブの発掘盤

  • 1993 ワークス・ライブ(イン・コンサートの増補版)
  • 1997 キング・ビスケット・ライブ/King Biscuit Flower Hour Presents In Concert 1974/1977
  • 1997 ワイト島ライブ/LIVE AT THE ISLE OF WIGHT FESTIVAL
  • 1998 Then and Now /1974年のカリフォルニア・ジャムのライブと1997年のライブを収録)
  • 2001 The Original Bootleg Series From Manticore Vaults, Vol. 1
  • 2001 The Original Bootleg Series From Manticore Vaults, Vol. 2
  • 2001 The Show That Never Ends
  • 2001 Best of Now Tour 1997
  • 2001 Live in Poland 1997
  • 2002 Fanfare: The 1997 World Tour
  • 2002 The Original Bootleg Series From Manticore Vaults, Vol. 3
  • 2004 Best of the Bootlegs
  • 2004 From The Front Row... Live!(DVDオーディオによるキング・ビスケットライブの5.1ch版)

[編集] トリビュート/セルフ・カバー

[編集] ビデオソフト(収録時期順)

  • Birth of a Band: Isle of Wight Festival (ワイト島フェスティバル、ただし実際の演奏の映像は殆どないらしく、悪評が高い。)
  • Masters From the Vaults (1970年頃のスタジオライブ映像。後にLive Broadcastとして同じ内容が上下トリミングされたワイド画面仕様で発売されている。)
  • 展覧会の絵(1971年頃のライシアム・シアターでのコンサート)
  • 展覧会の絵・完全版(上のビデオに未開人/石をとれ/ナイフ・エッジの35mmフィルムを加えたもの)
  • 展覧会の絵・35周年記念特別版(dts音声、完全版ではなく展覧会の絵のみ収録)
  • Works Orchestral Tour:Manticore Special (1977年8月26日のモントリオール・オリンピック・スタジアムでのライブ/1973年頃…恐怖の頭脳改革の頃…のツアー・ドキュメント)
  • Beyond The Beginnig (1970-78年の記録ビデオ・希少映像を集めたもの)
  • Welcome Back (1992-93年のブラックムーンツアーの抜粋とインタビュー、ドキュメント等の混合)
  • Live at The Royal Albert Hall(1993年の同ホールでのライブ)
  • Live at Montreux(1997年のモントルーでのライブ)

[編集] クラシックの原曲

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