ナジェジダ・フォン・メック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナジェジダ・フォン・メック(Nadezhda Filaretovna von Meck, 1831年-1894年)は、ロシア出身の資産家。モスクワ在住の鉄道王フォン・メックの妻だったが、1876年に夫が亡くなって多額の財産を相続した。
作曲家チャイコフスキーのパトロンとして、一度も会うことが無いまま文通を繰り返し、年間6000ルーブルもの資金援助を1877年から14年間にわたって続けた。彼の交響曲第4番はフォン・メック夫人に捧げられている。
またドビュッシーが少年の頃、彼を自分の娘のピアノ教師として雇い、長期旅行に同伴させた。この際、夫人の長男および次男とドビュッシーがピアノ三重奏を組んで彼のピアノ三重奏曲を演奏したり、またドビュッシーがピアノ連弾用に編曲したチャイコフスキーの白鳥の湖を演奏している。
夫人はドビュッシーの習作ピアノ曲「ボヘミア舞曲」をチャイコフスキーに郵送したが、1ヵ月後に返ってきたチャイコフスキーの返事は「とてもかわいらしい曲ですが、短すぎます」という未熟を諭す冷淡なものだった。この曲はドビュッシーの死後まで出版されなかった。
その後ドビュッシーは夫人の娘と恋愛関係に陥り、それを知った夫人は激怒して彼を解雇した。この顛末はチャイコフスキーへの手紙にも報告されている。
晩年になると精神を病み、破産したと思い込んで1890年にチャイコフスキーへの資金援助の打ち切りと共に交際の終焉を手紙で告げた。チャイコフスキーは交際の継続を求めたが断られ、自分はただ金で買われていただけだったのではないか、と彼女を恨んだという。