ハートレイク
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1991年4月22日 |
父 | Nureyev |
母 | My Darling One |
生産 | シェイク・モハメド |
生国 | イギリス |
馬主 | ゴドルフィン |
調教師 | John M.Oxx(愛国) サイード・ビン・スルール (UAE) |
競走成績 | 17戦6勝 |
獲得賞金 | 2万5790ポンド 45万香港ドル 11万ディルハム 1億6522万2000円 |
ハートレイク (Heart Lake)は、イギリス生まれの競走馬。
ゴドルフィン所有の外国馬ながら、日本で武豊騎手が騎乗し、1995年の安田記念と、1996年の京王杯スプリングカップをそれぞれ、サクラチトセオーとタイキブリザードを下し制した。外国馬特有の勝つか負けるかのどちらかの戦績であったが、2タイトルを奪取した。
[編集] 戦績
3歳時の5月とデビューは遅かったが、M.キネーンが手綱を取ってデビュー勝ち、続く2戦目は2着、3戦目は1着と好成績を収め、重賞に挑む。重賞初戦は4着に敗れはしたが、続いてのG3で優勝。次走のG3も1位入線するが失格となってしまう。ここまでデビュー4ヶ月で6戦というハードローテーションもあったので、一旦休養に入る。4ヶ月の休養明けは沙田競馬場のG3、香港国際ボウル。鞍上にL.デットーリを迎えたが、3着に終わる。
年が明けて、ナド・アルシバ競馬場での一般競走を勝利すると、日本へ遠征。上述のように日本での主戦騎手は武豊である。安田記念の前哨戦、京王杯スプリングカップでは5着であったが本番の安田記念では優勝を果たす。GI制覇を成し遂げたハートレイクの次走はニューマーケット競馬場でのジュライカップ。ふたたびL.デットーリを鞍上に迎えるがなんと1着馬から22馬身、8着馬からも10馬身はなされるしんがり負けを喫し再び休養に入る。
復帰は年明けとなり、アブダビでの2戦を2着に好走すると、ナド・アルシバでの4着の後再び日本へ。59Kgの斤量を背負いつつも京王杯スプリングカップを優勝する。しかし安田記念では2番人気ながら12着と大敗を喫する。そして次走のサセックスステークス9着を最後に引退した。1997年から社台スタリオンステーションで種牡馬として供用されていたが、1999年9月24日にシャトル供用先のオーストラリアの牧場で、種付け中の事故のため死亡した。
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