バンス・ロー
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バンス・ロー(Vance Law1956年10月1日-)は、米国出身のプロ野球選手で、右投右打の三塁手。登録名はバンスロー(実名をそのまま登録名にした外国人選手はバンスローとタイ・ゲイニー(タイゲイニー)とテリー・リー(テリーリー)の3人)。
当初は登録名を「ロー」にする予定であったが、不振時に「成績もロー(Low=低い)」という風に、マスコミに揶揄されるのを嫌った球団側の配慮で、登録名を実名の「バンスロー」とした。
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[編集] 略歴
1990年に外国人選手として中日ドラゴンズに入団。ドラゴンズのフロントにバンスローの情報をもたらしたのは、元ドラゴンズの選手で、当時モントリオール・エクスポズのコーチを務めていたケン・モッカとされる。
開幕直後には逆転満塁ホームランを決めた。また、自らのヒットでサヨナラを決める試合もあるなど、1年目にして29本塁打・打率.313・78打点をマーク。ベストナインにも選ばれ、助っ人としての役割を十分に果たした。
しかし翌年の1月には、家族との時間を優先させる理由で突如の退団。わずか1年だけのプレーで日本を去っていった。入団の際2年契約を結んでいた為、退団の際球団に違約金を支払っている。1991年はオークランド・アスレチックスに所属して1年プレーした後、引退した。
現在はブリガムヤング大学の野球部監督を務めている。
[編集] エピソード
- 5月24日の読売ジャイアンツ戦で、バンスローへの槙原寛己の頭部付近の投球に抗議していた星野監督が、当時巨人のコーチだった松原誠のヤジに激怒し、無関係だった水野雄仁にビンタを食らわせたことから乱闘に発展したが、この時ベニー・ディステファーノが大暴れ。結局当事者ではないのに1人だけ退場となった。星野は「なんで(当事者じゃない)ディステファーノが退場なんだ!!」とコメントした。ちなみにこの試合はその後、中日の鹿島忠が巨人のウォーレン・クロマティに頭部付近の投球(当たりはしなかった)を与え、もう1度乱闘が発生した。その球審は友寄正人氏だった。
[編集] 備考
[編集] 経歴
- 所属球団 ピッツバーグ・パイレーツ - シカゴ・ホワイトソックス - モントリオール・エクスポズ - シカゴ・カブス - 中日ドラゴンズ - オークランド・アスレチックス
[編集] 通算成績
日本での成績は含まれない。
試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|
1212 | 3802 | 972 | 71 | 442 | 34 | .256 |
[編集] 日本での通算成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 中日 | 2 | 122 | 457 | 143 | 29 | 78 | 2 | .313 |