ビタリ・クリチコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
基本情報 | |
---|---|
本名 | ビタリ・ウラジミロビッチ・クリチコ |
あだ名 | ドクター・アイアンフィスト |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | ウクライナ |
誕生日 | 1971年7月19日 |
出身地 | キルギスタン(現キルギス共和国) |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 37 |
勝ち | 35 |
KO勝ち | 34 |
敗け | 2 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
ビタリ・ウラジミロビッチ・クリチコ(ウクライナ語:Віталій Володимирович Кличкоヴィターリイ・ヴォロドィームィロヴィチュ・クルィチュコー;ロシア語:Виталий Владимирович Кличкоヴィターリイ・ヴラヂーミラヴィチュ・クリチュコー、1971年7月19日ベロヴォーツク - )は元プロボクサーで元WBC世界ヘビー級王者。キルギスタン(現キルギス共和国)出身で現在はウクライナ国籍(ドイツに在住)。身長202cm、リーチ200cm。ニックネームは「ドクター・アイアンフィスト」。弟のウラジミール・クリチコもまたプロボクサーで現IBF世界ヘビー級王者。かつて、日本で全日本キックボクシング連盟の興行に参加し柳澤龍志とも闘っている。
目次 |
[編集] 来歴
- 1989年、弱冠18歳でジェームズ・ワーリングとW.K.A.キックボクシングルールで対戦。この時点での両者の戦績はワーリング18勝1敗1分11KO、ビタリ17勝2敗。試合体重はワーリング87kg、ビタリ92kg。ビタリの国籍はソ連。判定2-1、スプリットデシジョンで敗北。
- 1992年 21歳でロシア代表として出場。W.A.K.O.ヨーロッパ選手権89kg超級の決勝でイギリス代表のペレ・リードと対戦。2ラウンドにスピニングキックを顎に受けてノックアウトされる。
- 1993年11月27日 全日本キックボクシング連盟興行「EVOLUTION STEP-8」に参戦。W.K.A.キックボクシングルール(ローキック禁止及び2分5R制)でキックボクシング二戦目のプロレスラー柳澤龍志と対戦、5度のダウンを奪い圧勝。判定0-3で下す。(3Rにパンチで2回、4Rにも2回ダウンを奪い、 5Rにもバックブローで5回目のダウンを奪い判定勝ち。)当初は通常のキックルールで対戦が予定されていたが、試合直前にクリチコ陣営の強い要望でローキック禁止に変更された。
- キックボクシングではアマチュアで2度、プロで4度、通算6度の世界タイトルを獲得するが、プロ活動を国際式のみへ路線変更する。(ちなみに獲得したキックボクシングのタイトルのうち詳細が判明しているものとして、1991年アマチュアキックボクシング世界選手権タイトル、1992年のISKAに関してはフルコンタクト部門というローキック無しのルールで行なわれるものである)
- 2005年11月12日にハシム・ラクマンの持つWBC暫定王座との統一戦が予定されていたが、11月3日、ロサンゼルスでのスパーリング中に右膝靭帯を負傷し試合は中止、2005年11月9日に引退を表明した。戦績の敗北した二戦も、試合を優勢に進めスコアでも勝りながらの怪我による無念の途中棄権であり、最後まで怪我による不幸が絶えなかった。
- 2006年3月、キエフ市長選挙に立候補するが惜敗。
[編集] 戦績
- アマチュアキックボクシング: 不明
- プロキックボクシング: 不明
- アマチュアボクシング: 210戦 195勝 80KO 15敗
- プロボクシング: 37戦 35勝 33KO 2敗
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
1 | 1996年11月16日 | 勝 | 2R 1:14 | KO | トニー・ブラダム | アメリカ | プロデビュー。 |
19 | 1998年5月2日 | 勝 | 5R | TKO | ディッキー・ライアン | アメリカ | WBOインターナショナルヘビー級王座獲得 |
22 | 1998年10月24日 | 勝 | 2R | TKO | マリオ・シーザー | ドイツ | EBUヘビー級王座獲得 |
23 | 1998年12月5日 | 勝 | 1R | TKO | フランシスコ・スピネッリ | フランス | 同王座・防衛1 |
24 | 1999年2月20日 | 勝 | 2R | TKO | イスマイル・ジョン・ユーラ | フランス | 同王座・防衛2 |
25 | 1999年6月26日 | 勝 | 2R | KO | ハービー・ハイド | アメリカ | WBO世界ヘビー級王座獲得 |
26 | 1999年10月9日 | 勝 | 3R | TKO | エド・マホーン | アメリカ | 同王座・防衛1 |
27 | 1999年12月11日 | 勝 | 10R | TKO | オベド・サリバン | アメリカ | 同王座2度目の防衛 |
28 | 2000年4月1日 | 勝 | 10R | TKO | クリス・バード | アメリカ | 同王座の防衛に失敗し、タイトルを失う。 |
29 | 2000年11月25日 | 勝 | 12R | 判定 | ティモ・ホフマン | ドイツ | EBUヘビー級王座獲得 |
30 | 2001年1月27日 | 勝 | 1R | KO | オーリン・ノリス | アメリカ | WBAインターナショナルヘビー級王座獲得 |
31 | 2001年12月8日 | 勝 | 11R | TKO | ロス・ピュリティー | アメリカ | 同王座・防衛1 |
32 | 2002年2月8日 | 勝 | 11R | TKO | ボーン・ビーン | アメリカ | 同王座・防衛2 |
33 | 2002年11月23日 | 勝 | 10R | TKO | ラリー・ドナルド | アメリカ | 同王座・防衛3 |
34 | 2003年6月21日 | 負 | 6R | TKO | レノックス・ルイス | イギリス | WBC&IBO世界ヘビー級王座挑戦失敗 |
36 | 2004年4月24日 | 勝 | 8R | TKO | コーリー・サンダース | 南アフリカ | WBC世界ヘビー級王座決定戦。王座獲得。 |
37 | 2004年12月11日 | 勝 | 8R | TKO | ダニー・ウィリアムス | イギリス | 同王座・防衛1 |
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連記事
前王者 ゼルコ・マブロビク |
第64代EBUヘビー級王者 1998年10月24日 - 1999年 |
次王者 ウラジミール・クリチコ |
前王者 ウラジミール・クリチコ |
第66代EBUヘビー級王者 2000年11月25日 - 2001年 |
次王者 ルアン・クラスニキ |
前王者 ペレ・リード |
第4代WBOインターコンチネンタルヘビー級王者 1998年5月2日 - 1998年 |
次王者 ダニー・ウィリアムズ |
前王者 ウラジミール・クリチコ |
第4代WBAインターナショナルヘビー級王者 2001年1月27日 - 2002年 |
次王者 ウラジミール・クリチコ |
前王者 ハービー・ハイド |
第10代WBO世界ヘビー級王者 1999年6月26日 - 2000年4月1日 |
次王者 クリス・バード |
前王者 レノックス・ルイス |
第23代WBC世界ヘビー級王者 2004年4月24日 - 2005年11月9日(引退) |
次王者 ハシーム・ラクマン |
カテゴリ: ウクライナのボクサー | キルギスタンのボクサー | 1971年生