ピュタゴラス
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ピタゴラス(ピュータゴラース、ピュタゴラスとも、Πυθαγόρας (Pythagoras)、紀元前582年 - 紀元前496年) は、ピタゴラスの定理等で知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。プラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた。
彼は、物事の根源、即ち「アルケーは数である」と考えた。例えば、男は2、女は3、結婚が6(=2×3)といった具合にである(数秘学の項を参照)。
ピタゴラス学派、ピタゴラス教団と呼ばれる独自の哲学学派は、哲学界に於ける様々な定理を見出した(その殆どは、現在で言う数学のものである)。有名なピタゴラスの定理も、実は本人によるものではなく、この学派によるものである。この学派は五芒星をシンボルマークとしていた。
ピュタゴラスは、線は極小の点の有限個の集合であると考えた。その為、無理数の存在を否定していた。しかし、彼の学派が見付けたピタゴラスの定理によっても算出される によって、無理数が存在しないという考えは後に修正された。皮肉な事に、シンボルマークの五芒星に現われる黄金比も無理数であった。ちなみに、無理数の存在を否定するがあまり、無理数について口外した仲間を溺死させたことさえあるとされる。
彼はその思想の中で輪廻を説いていたとされている。
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[編集] ピタゴラス音階
ピタゴラス音律は、ピタゴラスとの関係は不明だが、彼の名前が付されている。古代中国で生まれた三分損益法による音律と基本的に同じもの。どちらがより古いのかは定かではない。
音律の基本はオクターブと五度、四度であるが、ピタゴラス音律では五度音程を積み重ねていく。
[編集] ピタゴラスの最期
ディオゲネス・ラエルティオスは『ギリシア哲学者列伝』の中でピュタゴラスの最期に関する4つの説を紹介している。
- クロトンの家にいる時に放火されて、逃げ出し、豆畑まで来た時に立ち止まったため、追手に捕らえられて咽喉を切られて殺された。
- メタポンティオンのムゥサの女神たちの神殿に逃げ込み、40日間の断食をした後で死んだ(ディカイアルコスの説)。
- メタポンティオンに退き、断食をして死んだ(ヘラクレイトスの説)。
- アクラガス人とシュラクサイ人との戦闘に参加し、アクラガス軍の側に味方して戦った。しかし、アクラガス軍が退却したため、豆畑を避けて廻り道をしようとした時に、シュラクサイ軍に捕らえられて殺された(ヘルミッポスの説)。
第1(または第4)の説は、小峰元著 『ピタゴラス豆畑に死す』 講談社、1975年、ISBN 4061360299 の表題にもなっている。
[編集] 参考文献
- イアンブリコス 『ピュタゴラス伝』 佐藤義尚訳、国文社〈叢書アレクサンドリア図書館4〉、2000年。ISBN 4772003983
- ブルーノ・チェントローネ 『ピュタゴラス派―その生と哲学』 斎藤憲訳、岩波書店、2000年。ISBN 4000019236
- ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝(下)』 加来彰俊訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1994年。ISBN 4003366336
[編集] 外部リンク
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