ピーター・フランプトン
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ピーター・フランプトン(Peter Frampton、Peter Kenneth Frampton、1950年4月22日-)はイギリスのミュージシャン、歌手、ギタリスト。
[編集] 略歴
ロンドン出身。1966年、アイドルバンドのザ・ハードに参加。そのルックスから人気者となり、1968年には「1968年の顔」ともてはやされるようになる。しかしアイドル扱いに嫌気がさしたフランプトンはハードを脱退、1969年に元スモール・フェイセズのスティーヴ・マリオットらとハンブル・パイを結成した。
二枚看板だったはずのハンブル・パイだったが、アルバム毎にソウルフルなマリオットの色が濃くなり、次第にフランプトンは居場所を失っていく。 1972年にハンブル・パイを円満に脱退し、ソロ活動を開始することとなる。
ギタリストとしてもジョージ・ハリスンやニルソンのアルバムに参加して腕を磨く。
1974年から精力的に草の根全米ツアーを始める。アメリカの地で地道に着実にファンを増やしていく。 1976年、この努力が実を結ぶ。先の全米ツアーを収録した2枚組のライブアルバム「フランプトン・カムズ・アライブ (Frampton Comes Alive!)が全米1位、全世界で1000万枚を売り上げる驚異的な大ヒット作となる。 Show me the way,Baby,I Love Your Way,Do You Feel Like We Doの三つのシングルが大ヒットもあり、年間通してこのアルバムは売れに売れた。
この作品の成功を機にアメリカではアルバムのビッグセールス時代が始まったといわれる。
1977年にも「アイム・イン・ユー」などのヒットを放ち、ビー・ジーズのギブ兄弟らと映画「サージェント・ペパーズ」にも出演した。
80年代になると人気は下降気味となる。 1987年にはデビッド・ボウイのツアーにギタリストとして参加したものの歌うことはなかった。
90年代。 小さなクラブ周りが主体となる。また地道な活動に戻る。
スティーブ・マリオットと再開する。共同でアルバムを作ることになる。その計画の最中にマリオットは事故死(火災)する。 アルバムPeter Framptonを発表する。
次第に盛り返す。Frampton Comes Alive IIのリリースし大好評を博す。 彼のギターは進歩した。円熟味を増し、いつのまにかギターリジェンドの一人に数えられるようになっていたのだ。
そして2006年には豪華ゲストを迎えてのインストアルバムFingerprintsを発表する。 ラリー・カールトンらをおさえて2007年グラミー、ベスト・ポップ・インストルメンタル・アルバムに選出される。
[編集] その他
ブラック3ピックアップのレスポールといえばピーター・フランプトンだった。 トーキング・ジェネレーターといえばピーター・フランプトンだった。
ある時代のロックスターの象徴的存在であった。
[編集] 外部リンク
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