スモール・フェイセズ
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スモール・フェイセズ (Small Faces)(1965年 - 1969年)は、イギリスのロックバンド。スティーヴ・マリオットとロニー・レーンに率いられ、ドラムスのケニー・ジョーンズおよびオルガンのジミー・ウィンストンがメンバーであった。メンバーは全員イースト・エンド出身で、ザ・フーに次ぐイギリスの代表的モッズ・バンドであった。
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[編集] メンバー
- Steve Marriott スティーヴ・マリオット(ギター/ボーカル)*故人
- Ronnie Lane ロニー・レーン(ベース/ボーカル)*故人
- Kenny Jones ケニー・ジョーンズ(ドラムス)
- Jimmy Winston ジミー・ウィンストン(キーボード)
- Ian McLagan イアン・マクレガン(キーボード)
[編集] 来歴
スティーヴ・マリオットはロンドンのイーストエンドで生まれ育った。彼は子役俳優として『オリバー!』のアートフル・ドジャー役で有名になり、十代初期に二本の映画に出演した。一本はピーター・セラーズとの共演であった。俳優業の傍ら、ソロ・シングルやスティーヴ・マリオット&ザ・モーメンツ名義でのシングルを発表するが、いずれも不発。
レーンとマリオットは1965年に出会う。マリオットはマナー・パークのJ60 ミュージック・バーで働いており、そこにレーンが父親のスタンと共にベース・ギターを買いに訪れた。レーンとマリオットはそこで会話し、ベースを買ったレーンはマリオットが仕事を終えた後レコードを聴きに彼の家を訪れた。バンドの核はその夜誕生した。
バンド名は、マリオット、レーン、ジョーンズの3人が小柄(Small)だったことと、シーンの顔役という意味を込めた「Face」が由来。
[編集] デッカ時代
彼らのデビュー・シングルは1965年の「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」であった。第二弾の「アイヴ・ゴット・マイン」はチャート入りしなかった。ウィンストンが脱退し、元ザ・ミュールスキナーズのメンバーで経験豊富なイアン・マクレガンが後任となった。続くシングル「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」はイギリスでのメジャー・ヒットとなった。1966年発表のファースト・アルバム『スモール・フェイセズ』は、全英3位という相当の成功作となった。その後、「オール・オア・ナッシング」が全英1位のヒットとなる。
しかし、契約上の問題などからデッカとの関係が悪化し、バンドは移籍を考えるようになる。
[編集] イミディエイト時代
1967年、バンドはイミディエイトに移籍する。マリオットとレーンは、イミディエイトと契約しているシンガー、クリス・ファーロウに「マイ・ウェイ・オブ・ギヴィング」を提供していたので、スムーズに契約。デッカが報復として、シングルと未発表テイクの寄せ集め『フロム・ザ・ビギニング』を出したが、イミディエイト移籍第1弾『スモール・フェイセズ』(デッカ時代のデビュー・アルバムとは全く別物)も成功し、同時期に2枚のアルバムがヒットするという、変則的な事態となった。このイミディエイト盤『スモール・フェイセズ』は、全曲オリジナルで固められ、アーティストとしての進歩を見せ付けた。
その後も、「イチクー・パーク」(全英3位)、「ティン・ソルジャー」(全英9位)が立て続けにヒット。この2曲で、念願の全米チャート・インも果たす。もっとも、「イチクー・パーク」は全米16位の大ヒットだが、「ティン・ソルジャー」は全米73位止まり。
1968年には、タバコの缶をあしらった変形ジャケットも話題となった『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』が、見事全英1位のヒット。「アフターグロウ・オブ・ユア・ラヴ」や「レイジー・サンデイ」等の名曲を抱えた、正に代表作である。
[編集] その後
ハンブル・パイを結成するべくスティーヴ・マリオットはバンドを脱退。残ったロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの三人は、ジェフ・ベック・グループをクビになっていたロッド・スチュアート(ボーカル)、ロン・ウッド(ギター)を加え、一時はクワイエット・メロンと名乗るが、数ヶ月でフェイセズと改名して再出発する。
ハンブル・パイもフェイセズも解散した後、「イチクー・パーク」のリバイバル・ヒットがきっかけで、レーン以外の三人が集まり、スモール・フェイセズが再結成される。1977年に『プレイメイツ』、1978年に『78イン・ザ・シェイド』を発表。
一方レーンは、スリム・チャンスを率いて活動し、再結成スモール・フェイセズへの参加は断るが、多発性硬化症という難病を患う。1981年、マリオットとレーンが再会し、互いの曲を持ち寄ってレコーディングを楽しむが、その時の音源は、2000年に『マジック・ミジッツ』というタイトルでCD化されるまで日の目を見なかった。
[編集] 後のUKロックへの影響
アメリカでは、悲しいほど不当評価されたまま終わったが、本国イギリスでの影響力は凄まじい。1970年代後半のモッズ・リバイバル、1990年代のブリット・ポップ等、様々なムーヴメントの中で再評価されてきた。核となる2人が既に故人となった今でも、スモール・フェイセズを崇拝するミュージシャンは、後を絶たない。
例えば、ポール・ウェラーは、熱心なスモール・フェイセズ信者で、ロニー・レーンの闘病生活の支援にも携わったという。ポールは更に、2001年にはスティーヴ・マリオットのトリビュート・コンサートで、ノエル・ギャラガー(オアシス)、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズと共演。
また、意外な所では、ジョン・サイクス率いるヘヴィ・メタル・バンド、ブルー・マーダーが、アルバム『ナッシング・バット・トラブル』で「イチクー・パーク」をカヴァーした。
[編集] ディスコグラフィ
- スモール・フェイセズ - Small Faces(Decca LK4790)(1966)
- フロム・ザ・ビギニング - From The Beginning(Decca LK4879)(1967)
- スモール・フェイセズ - Small Faces(Immediate IMLP008)(1967)
- オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク - Ogden's Nut Gone Flake(Immediate IMSP012)(1968)
- イン・メモリアム - In Memoriam'(Immediate(German) 1C 048-90 201)(1969)
- プレイメイツ - Playmates(Atlantic SD19113)(1977)
- 78イン・ザ・シェイド - 78 In The Shade(Atlantic SD19171)(1978)