フィラレート (モスクワ総主教)
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フィラレート(Филарет, 1553年 - 1633年10月1日)はモスクワ総主教(在位)。1601年に剃髪するまでの世俗名はフョードル・ニキーチチ・ロマノフ。イヴァン雷帝時代の貴族ニキータ・ロマノフの子。雷帝の后アナスタシアは叔母に当たる。
[編集] 俗人時代
- 1585年頃、フョードル1世に付き添い、ノヴゴロドに行軍したのが史料初出。
- 1586年には貴族の位を得ていた。フョードル帝の死(1598年)の後、ツァーリの有力候補になったが、ボリス・ゴドゥノフが選出され、彼の下にはいる。
- 1601年にはロマノフ家一門が失寵を蒙り、フョードルも剃髪され、北方のアントニエフ・シースキー修道院に流された。
[編集] 復活
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