フェデロフM1916突撃銃
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正式名称 | フェデロフM1916突撃銃 |
全長 | 990mm |
銃身長 | 480mm |
重量 | 4.40kg |
口径 | 6.5mm×50 |
装弾数 | 25発(箱型弾倉) |
発射速度 | 400発/分 |
製造国 | 帝政ロシア/旧ソ連 |
製造 | 不明 |
フェデロフM1916突撃銃(ふぇでろふM1916とつげきじゅう)は1916年に旧ソ連で開発された世界初の突撃銃である。 写真:フェデロフ・アブトマート
[編集] 開発経緯
第一次世界大戦 ではロシア帝国も連合軍として参戦し帝政ドイツ軍と戦った。しかし当時のロシア国内の工業力は他国に比べて低く、ライフル銃の生産にしても需要に追いつかない有様であった。このためロシアは各国に技術員を派遣し、他国から武器・兵器を輸入を行なう状態だった。そのため帰国した派遣技術員はロシア軍の近代化という目的から新型の武器や兵器の研究を行なうこととなった。
[編集] フェデロフM1916突撃銃の登場
ロシア帝国の皇帝親衛隊員及び帝国の兵器学校教員であったフェデロフ技術大尉もこの派遣技術員一人で、自らも理想としていたフルオートライフル(突撃銃)の研究を中心に進めていた。1909年から始まった研究はその後続いたが使用する弾薬で問題が起こる。当時ロシア軍で使用していたライフル弾は7.62×54Rであったがフルオートで使用するには7.62×54Rは強力すぎたため銃身が破損する恐れがあった。そこでフェデロフが注目したのが日露戦争及びシベリア出兵で日本軍が使用していた6.5mm×50SR弾である。小口径のため反動が少なく弾道特性が良かったこの弾薬に注目したフェデロフは早速この弾薬を新型銃に採用し、1916年にフェデロフM1916突撃銃は完成した。
特徴として全長は990mmとこの時代のライフル銃に比べると短く、ちょうど騎兵銃をフルオートしたような形状だった。弾倉の前部にはフォアグリップが装着され、フルオート発射時の操作を容易にしているほかには作動方式はガス圧式を採用、フル・フローティングバレルのショートリコイルで閉鎖器に至っては独自ガス作動で後方に退き、一定距離退いた後に下方に落ちてボルトを解放する仕組みをしていた。また連射時のバレル冷却の目的からバレル自身にフルート加工が施され(銃身に溝を彫り冷却効果を上げる工法)フォアストック部はアルミを使用し、銃本体も木製のバーティカルグリップを使用し、射撃もセミ・フルオートの切り替えが可能である。
フェデロフM1916には幾つかバリエーションが存在し、銃身にバイポットを装着したSAW(Squad Automatic Weapon)タイプとマガジンが上になるように上下を逆にして2挺を連結した軽機関銃タイプが存在する。
[編集] その後
フェデロフ大尉が長年かけて開発した世界初の突撃銃は1917年におこったロシア革命でロシア社会民主労働党(後のソビエト共産党)を相手に使用されている。その後設立されたソビエト政府からも一旦はフェデロフM1916の優秀さから約6000丁を発注されている。しかしその後フェデロフM1916が増産される事は無かった。理由として当時のソ連軍では小口径・弱装弾である本銃を不要と判断されてしまったこと、フェデロフ大尉自身が反革命的な言動という理由でソビエト政府から投獄されたこと(5年後に釈放)、さらに鹵獲していた6.5mm×50SR弾の在庫が底を着いたことも重なり、1925年に生産は打ち切られている。