フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス
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フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス(Flavius Valerius Severus、307年11月16日没)は西ローマ帝国の皇帝 (306年)である。
彼はイリュリア属州出身の軍人だったが、彼に近いガレリウス帝がマクシミアヌス帝に推挙したことにより、305年に西ローマ帝国の副帝となった。西ローマ帝国を共同統治する正帝はコンスタンティウス・クロルスであった。
306年にコンスタンティウス・クロルスが死去すると、その息子コンスタンティヌスが自身の軍団に推されて正帝となると宣言したが、ガレリウス帝の推挙によりセウェルスが正帝となった。
続いて、引退したマクシミアヌスの息子マクセンティウスがローマで反乱を起こし、ガレリウス帝はその鎮圧にセウェルス帝を向かわせた。セウェルスは、以前はマクシミアヌス帝に仕えていた軍団を引き連れて、首都メディオラヌム(現ミラノ)からローマに向かった。マクセンティウスはセウェルス帝が来るのに脅えて、父の助けを借りることにし、マクシミアヌスを共同皇帝として正帝に復帰させた。このため、セウェルス帝の軍団がローマに到着して城壁を取り囲んだときに、軍団はセウェルス帝の元を離れて再びマクシミアヌス配下に加わった。セウェルス帝は難攻不落のラヴェンナに逃走したが、マクシミアヌスが身体の安全を保障したことを受けて降伏し、ローマ近くのトレス・タベルネ(en: Tres Tabernae)に幽閉されることになった。
ガレリウス帝はマクセンティウスとその父を鎮圧するため、307年に自身で兵を引き連れてイタリアに侵攻した。このときに、セウェルスはマクセンティウスに殺害された。
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