属州
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属州(ぞくしゅう、ラテン語:provincia)とは古代ローマが辺境に置いた直轄地のことである。原語プロウィンキアはもともとインペリウム保持者の担当地域を指し、第一次ポエニ戦争後に獲得した一人のインペリウム保持者が統治を担当する直轄地を指すようになった。
ローマの最初の属州は第一次ポエニ戦争後にシチリア島に設置した「属州シキリア」で、以降の帝国主義的拡張の中で新たに組み込まれた領土に次々と属州が設置されていった。
属州の統治はコンスルやプラエトル経験者がプロコンスルやプロプラエトルといった肩書きで担当し、その下には総督つきのクァエストルほか数名の官僚がローマから派遣された。しかしながらこの程度の少人数では行政は困難であるため、属州総督は通常私的な下僚を抱えていた。
属州には農作地にかけられた10分の1税などいくつかの税が課せられ、それらは属州内の自由市や自治市では各都市が、直轄地では徴税請負人(プブリカニ、publicani)が徴収を担当した。徴税請負人はしばしば総督と結託し属州民を搾取した。この他シキリアなどでは穀物の強制買い付けの制度も属州民の負担となっていた。
属州総督の地位は住民からの搾取により多大な利益を期待できるものであった。このため共和政中期から末期のローマでは多額の借金をしてコンスルに就任し、その後の属州統治の任で負債の返済だけでなく一財産を築くような者も少なくなかった。こうした属州総督の苛斂誅求に対して属州は総督の不正を元老院に訴えることができた。当時キケロを有名にしたウェッレスの弾劾もこうした不正追及の裁判であった。
属州からの富はローマに繁栄を与えた。共和政末期のローマでは属州総督の際に獲得する富と軍事的成功が中央での政治的資源となった。またシキリアやアフリカ、のちにはエジプトからの穀物はローマの巨大な人口を維持するためには必要不可欠なものであった。しかし流入する安価な穀物はイタリアの自作農民に打撃を与え、彼らの没落と政情の不安定化の原因の一つとなった。帝政期に入ると属州はイタリアの商品の輸出先としてローマの経済を支えることになる。しかしオリーブやブドウといった輸出商品の属州での生産が本格化するとイタリアは市場を失い経済的には没落していった。
[編集] 関連項目
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- ローマ帝国の属州
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