フランク・シャムロック
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フランク・シャムロック(Frank Shamrock、1972年12月8日 - )は、アメリカの総合格闘家。カリフォルニア州サンタモニカ出身。
恵まれない家庭環境に育ち、12歳で今の養父に引き取られる。ケン・シャムロックは同じ養父を持つ義理の兄弟。1993年からケンのもとで総合格闘技を学び、1994年パンクラスでデビュー、優勝候補の一角に挙げられていたバス・ルッテンを下す鮮烈のデビューを飾った。当初は本名のフランク・ワレスを名乗っていた。
1995年11月には船木誠勝を下し、1996年1月に鈴木みのるを破ってルッテンが返上したキング・オブ・パンクラス暫定王者となる。パンクラスを主戦場として活躍してゆくが、ケンとパンクラスとの間に起こったトラブルに巻き込まれるようにしてフェイドアウト。
1997年1月にはスーパーブロウルに参戦、初のバーリトゥード戦を行うが無名のジョン・ローバーに完敗。前途が危ぶまれたが、9月にリングスで高阪剛に判定勝ちを収めたのを皮切りに10月にコンテンダーズ(組み技限定の格闘技イベント)でダン・ヘンダーソンを秒殺、11月にはエンセン井上を下し、12月のUFC-Jでソウル五輪レスリング金メダリストにして総合格闘技無敗のケビン・ジャクソンを16秒で下し、初代UFCミドル級(当時=後に階級改正でライトヘビー級)王者となる。
圧倒的な強さで防衛を重ねるが、1999年9月にティト・オーティズとの歴史的な激闘を制するとリングにベルトを置いてUFC撤退を表明。対戦要望をアピールしていた桜庭和志との対戦が期待され幾度もPRIDE参戦が噂されるが、実現には至らなかった。
その後は2000年にK-1、2003年にWEC、2006年にストライク・フォースで僅か3戦しか総合格闘技の試合を行っていないが、2001年にはK-1ルールの試合をシャノン・リッチを相手に行っている。
2005年には自身のジム、シャムロック・マーシャルアーツ・アカデミーをオープン。映画やテレビに出演するなど、俳優活動も旺盛に行っている。
テクニック、スピード、パワーと一級品の選手であったが、金銭トラブルに巻き込まれて一線から離脱して久しかった。
2007年には新興団体ELITE XCでヘンゾ・グレイシーと対戦。終始押され気味な展開で、禁止されていた下のポジションからのグラウンド状態でのヒザ蹴りを放ったため反則負けという憂き目を見た。