リングス
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リングス(Fighting Network RINGS)は、前田日明が1991年5月11日に旗揚げし、2002年2月15日に活動停止したプロレス、総合格闘技団体。キャッチコピーは「世界最強の男はリングスが決める」
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[編集] 概要
プロレス団体の新生UWF(第二次UWF)の解散により、所属選手は藤原組、UWFインターナショナルに分かれ、前田日明はたった一人でリングスを立ち上げた。開局当初、新生UWFの中継をソフトの目玉とする予定だったWOWOWはネームバリューのある前田をバックアップ、リングスと放映契約を締結した。そのおかげで他派に比較するとリングスの資金は潤沢であった。旗揚げにあたり前田は「ネットワーク構想」を打ち立てた。全世界に道場を設立し選手を育成、日本で戦わせて、自国で興行をする。1991年のリングス・オランダを皮切りに活動停止までに10ヶ国に上った。この構想の実現はWOWOWによる支援があったればこそである。
ネットワーク構築により、外人選手の招聘に困ることはなかったが、エースの前田日明以外の日本人選手は慢性的に不足していた。この窮地を救ったのが、空手団体の正道会館との提携である。提携していた1991年から1993年まで人気空手家の佐竹雅昭を筆頭に正道会館勢がリングスマットで活躍した。この提携は新生UWFからリングスまでの間に築き上げた興行ノウハウを正道会館に吸収させることとなり、後に正道会館が母体となって立ち上げたK-1が誕生する一因ともなっている。
人気団体として定着していたリングスだったが、1998年にエースの前田日明が現役を引退したことで興行で苦戦が続き、国内外の人気選手・スタッフが相次いでPRIDE等へ移籍する等して離脱(この点について前田は、桁違いのファイトマネーを提示されればどんな選手でも動くと述懐している。一方、PRIDEの榊原代表は、引き抜きではないと主張している)。危機が続く中、2002年にWOWOWがUFCと新規に契約し、リングス中継を終了。リングスも活動停止となった。 日本国内では活動を停止したリングスだが、リトアニアなど海外ではリングス・ネットワークの手により大会は継続され、日本国内でもリングス出身スタッフが運営するリングスKOKルールを採用した格闘技イベントZSTが開催されるなど、リングスの系譜は受け継がれている。
なお、世界的なリングス・ネットワークを越える構想と組織化は、未だどこの団体・興行も実現していない。
[編集] ルール
初期のリングスはUWFルールを踏襲したいわゆるU系プロレス。グローブなし、ロープエスケープあり、顔面パンチ禁止(掌底はOK)、グラウンドでの打撃は禁止。1エスケープで1ロストポイント、1ダウンで2ロストポイント。10ロストポイント、タップアウト、ダウン後10カウントで敗北。しかし、UFCの登場により、バーリトゥードが話題を集め、PRIDE、修斗、パンクラスなどが追随する中で、リングスも対応を迫られて、リングス後期にはバーリトゥードから危険な要素を省いたKOKルールと呼ばれる独特のルールが採用され、UWF系のプロレス団体から総合格闘技団体へ移り変わった。
[編集] 主なスタッフ
[編集] レフェリー
[編集] 広報
- 上原譲 - 現・総合格闘技イベントZST広報
[編集] リングアナウンサー
[編集] 公式記録員
- 田代徳一
[編集] 審議委員
[編集] メディカルアドバイザー
[編集] リングス・ジャパン
選手団体としてのリングス・ジャパンに所属したのは、当初は前田日明とUWFインターナショナルから移籍した長井満也の2人だけであった。その後、1992年に山本宜久、成瀬昌由、1994年に坂田亘、高阪剛らがデビュー。さらに田村潔司、金原弘光、山本健一(現・山本喧一)などがUWFインターから移籍。横浜市に構えられた前田道場で練習に励み、徐々に陣容を整えていった。
既に選手としての盛りを過ぎていた前田日明に代わり、後継者として期待された生え抜きの山本宜久は伸び悩み、移籍組の田村潔司が強豪外国人選手がひしめく中を日本人エースとして重責を担った。さらに田村が離脱した末期は、金原弘光が「リングス最後のエース」と呼ばれ孤軍奮闘した。
[編集] 所属していた選手
[編集] リングスに所属していた海外選手
[編集] リングス・ロシア
- ウラジミール・パコージン - 代表
- ヴォルク・ハン
- アンドレイ・コピィロフ
- ニコライ・ズーエフ
- イリューヒン・ミーシャ
- エメリヤーエンコ・ヒョードル
- バロージャ・クレメンチェフ
- セルゲイ・ハリトーノフ 注:日本ではロシアン・トップ・チーム所属という肩書きであるが、本国ではリングス・ロシアに所属。
- ヴォルク・アターエフ
- ラバザノフ・アフメッド
- コーチキン・ユーリー
- ユーリ・ベキシェフ
- ウラジミール・クラブチュック
- セルゲイ・スーセロフ
2005年8月20日、ニコライ・ズーエフが中心となり、「リングス・エカテリンブルグ」が旗揚げされ、ハリトーノフ、アターエフ、ミーシャ、ラバザノフ、コーチキンが参加。日本からは前田が招待され、金原、高阪が参戦した。
[編集] リングス・グルジア
- アルティミシュビリ・ノダリ - 代表
- グロム・ザザ
- ビターゼ・タリエル
- グロム・コバ
- ダヴィド・ハハレイシヴィリ
- ゴキテゼ・バクーリ
- ビターゼ・アミラン
- ツハダゼ・ザオール
- ゲオルギー・カンダラッキー
[編集] リングス・オランダ
- クリス・ドールマン - 代表
- ハンス・ナイマン
- ディック・フライ
- ヘルマン・レンティング
- ヴァレンタイン・オーフレイム
- アリスター・オーフレイム
- ギルバート・アイブル
- ウィリー・ピータース
- ヨープ・カステル
- ボブ・シュクライバー
- ピーター・ウラ
- バート・コップスJr
- ウィリー・ウィリヘルム
- サンドラ・トンハウザー
- ピーター・ダイクマン
- エリック・エデレンボス
- ピーター・スミット
- トム・フォン・マウリック
- ルディ・イウォルド
- デニス・ラーフェン
- サンドラ・マック・キリアン
- フレッド・オーストロン
[編集] リングス・オーストラリア
- クリストファー・ヘイズマン
- ケリー・ジェイコブ
- サム・ネスト
[編集] リングス・USA
[編集] リングス・イギリス
- リー・ハスデル
- カステロ・ブランコ
[編集] リングス・ブラジル
[編集] リングス・リトアニア
詳しくは、リトアニア・ブシドー協会参照。
[編集] リングス・ブルガリア
- ニコラ・ザハリエフ - 代表
- ゲオルギー・トンコフ
- ボリス・ジュリアスコフ
- ソテル・ゴチェフ
- ディミータ・ペトコフ
[編集] 備考
アメリカ合衆国のチーム・クエストに所属するランディー・クートゥア、ダン・ヘンダーソン、ブラジルのブラジリアン・トップ・チームに所属するアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、オランダのドージョー・チャクリキに在籍したピーター・アーツらはジム単位の契約でリングスに参戦していただけであり、リングスに所属していたわけではない。また、リングス・ロシアやリングス・オランダなどしっかりとした組織があるところもあれば、ジェレミー・ホーンのみのリングス・USAなど組織が有力になる前にリングス解散の煽りを食った所もあった。しかしながら、海外ではすでに活躍していたが日本ではまだ無名であった彼らを招聘し、日本での活躍の活路を開いた。佐竹雅昭、角田信朗ら正道会館との交流は、後に出現するK-1への影響を与えたとも言われ、リングスが格闘技界に与えた功績は大きい。
なお、2005年になって、K-1を運営するFEGが開いている総合格闘技興行HERO'Sに前田日明がスーパーバイザーとして就任。FEGが複数契約したヒース・ヒーリングがリングス・USA、ラモン・デッカーがリングス・オランダ、キム・ミンスがリングス・コリア、アラン・カラエフがリングス・ロシア、イアン・シャファーがリングス・オーストラリアの所属を名乗っている。
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