フルヘンシオ・バティスタ
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フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル(Fulgencio Batista y Zaldivar, 1901年1月16日 - 1973年8月6日)は、キューバの大統領(1940年 - 1944年、1952年 - 1959年)。独裁者。
[編集] 来歴
バティスタは1901年にバネスで生まれた。彼はムラートと考えられていた。1921年に軍隊に加わる。バティスタ軍曹は1933年の「軍曹の反乱」をリードした。バティスタのクーデターはカルロス・マヌエル・デ・セスペデスの臨時政府を倒し、ラモン・グラウ・サンマルティンが1933年9月10日大統領に就任した。バティスタは入閣を要請されたがそれを固辞し軍参謀総長になった。グラウは翌年の1月16日に辞任し、1月17日にマヌエル・マルゲス・スターリング・イ・ギラルが大統領に就任するが、1月19日にカルロス・メンディエタ・モンテフールが臨時大統領に就任。メンディエタは1935年12月11日に退陣し、ホセ・バルネ・イ・ビネヘラスが臨時大統領となる。翌1936年5月20日にミゲル・マリアノ・ゴメス・アリアスが大統領に就任、同内閣でバティスタは国防相兼軍総司令官に就任し、政権の実権を握った。バティスタの横暴にゴメスは拒否権を発動したが、逆にバティスタによる議会動員で罷免され、フェルデシオ・ラレド・ブル副大統領が大統領に昇格した。
[編集] 独裁への道
1938年になるとバティスタは共産党を合法化し、対立する真正革命党に対する共闘路線を結ぶ。1939年11月には憲法制定議会選挙が行われるが、バティスタの率いる自由党は共産党と連合するも真正革命党を主とする野党連合に大差で敗北する。1940年2月の第一回議会では、第一党の真正革命党はグラウを議長に推すがバティスタの裏工作でマルケス・スターリングが議長に就任した。7月には新憲法が公布、総選挙が行われる。バティスタがグラウを抑え大統領に当選した。
10月にバティスタは大統領に就任する。1944年には総選挙が行われ、バティスタの推すカルロス・サラドリガスがグラウに敗北する。バティスタはアメリカ合衆国のフロリダに逃亡した。
キューバでは1948年6月に総選挙が行われ、フロリダのデイトナビーチでカジノを経営していたバティスタは自由党から上院議員に立候補し当選、政界に復帰する。1950年には帰国し、単一行動党を結成する。翌年には大統領選出馬を表明するが、支持は得られなかった。1952年3月10日、バティスタは軍事クーデターを決行、カルロス・プリオ・ソカラス大統領に辞任を要求。プリオはメキシコ大使館に亡命した。
[編集] キューバ革命
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