キューバ
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- キューバ共和国
- República de Cuba
-
(国旗) (国章) - 国の標語 : Patria y Libertad
(スペイン語: 祖国と自由) - 国歌 : バヤモの歌
-
公用語 スペイン語 首都 ハバナ 最大の都市 ハバナ 国家評議会議長 フィデル・カストロ 閣僚評議会議長 (首相) 国家評議会議長が兼務 面積
- 総計
- 水面積率世界第103位
110,860km²
極僅か人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第70位
11,308,764人
102人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(Xxxx年)
xxx,xxxキューバペソGDP(MER)
- 合計(Xxxx年)世界第xx位
xxx,xxxドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第85位
315億9,000万ドル
2,600ドル独立
- 日付スペインより
1821年9月15日通貨 キューバペソ 時間帯 UTC -5(DST: なし) ccTLD CU 国際電話番号 53
キューバ共和国(República de Cuba)、通称キューバ(Cuba)は、ラテンアメリカにある国。首都はハバナ。
日本の本州の半分ほどの面積を持つ島国である。地理的には北アメリカに含まれるが、広義の中央アメリカにも含まれる。「アメリカの裏庭」と俗に呼ばれたりするが、裏庭どころではなく、南北アメリカ大陸、及びヨーロッパと中南米を結ぶ要路に位置している。アメリカ州最初の社会主義共和国として独自の道を歩んでいるため、「カリブに浮かぶ赤い島」と形容されることもある。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はスペイン語でRepública de Cuba。通称、Cuba。
公式の英語表記は、Republic of Cuba。通称、Cuba。
日本語の表記は、キューバ共和国。通称、キューバ(玖瑪、玖馬、久場、古巴)。スペイン語で Cuba をクーバと発音するので、クーバと呼ぶ人もいる。
国名は、「中心地」という意味のインディオ(タイノ族)の言葉であるクバナカン(Cubanacan)が由来であるとされている。
[編集] 歴史
詳細はキューバの歴史を参照。
キューバは1492年10月27日、クリストファー・コロンブスの第一次航海で「発見」された島である。当時、島にはタイノもしくはアラワクと呼ばれる先住民がいたが、1511年スペインのベラスケスが率いる遠征隊によって征服され、植民地化が進むとスペイン人による虐待や強制労働、疫病によってそのほとんどが絶滅したとされる。スペイン人によるキューバの植民地化は同時に砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、インディオの悲劇とは別に、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げる。19世紀初め、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、キューバは大規模な奴隷制砂糖プランテーション産業が興り、19世紀半ばには世界最大の砂糖生産地となった。砂糖に加えて、葉巻の通商でも富を得るようになった。しかし同時に、1830年代からスペインの支配者が次第に抑圧的となり、キューバ国内の入植者の間では次第に独立の気運が高まり、一時キューバのアメリカ編入を目指す運動も起きた。
独立闘争は1868年に始まり、1878年には一旦スペインとの休戦が成った。しかし、1895年からはホセ・マルティらの指導による独立闘争が再発し、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の介入まで続いた。米国の勝利より、キューバはアメリカの軍政を経て、1902年5月20日に400年に及ぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取った。ただし、それは形式的なものであり、同時に米国による支配の始まりでもあった。同年、キューバ国憲法に盛り込まれたプラット修正条項(Platt Amendment)には、米国の内政干渉権、グァンタナモ、バイア・オンダの二箇所に米国の軍事基地を置くなどが盛り込まれ、実質的には米国の統治下におかれた。
独立後、キューバにはアメリカ資本が数多く進出し、精糖産業など多くの資源産業をアメリカ企業が支配した。また、政治家の不正が度重なって生じたことで、キューバの現状に対する国民の不満はより深化していった。このような国民の不満は、はやくも1906年に反乱行為として結実し、1909年までキューバはアメリカ軍の管理下に入らざるを得ない状況が続いた。また、1912年にも反乱が発生し、アメリカが介入する事態となった。その後も、キューバではクーデターの発生や相次ぐ政変により、1930年代まで政治的な不安定期が続いた。そのため、アメリカもプラット修正条項を廃棄(海軍基地設置の条項は除外)するなど、キューバの秩序維持に努めざるを得なかった。
不安定な政治状況は、1933年から政治の主役を演じていたフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)が、1936年に政権の実権を握ったことで一定の安定を見せ、キューバ政府が社会経済の改革計画を実行できるまでになった。そして、1940年になると、バティスタの大統領就任と新憲法の公布により、ようやくキューバでは政治的緊張が緩和された。1944年の総選挙でバティスタが敗北した後、キューバは国際連合設立(1945年)や米州機構設立(1948年)に参加した。しかし一方で、国内では砂糖の国際価格の不安定化とインフレ問題が重要課題として浮上し、政府が有効対策をとれなかったことで、社会不安が拡大した。
1952年、バティスタはクーデターで政権を奪取し、憲法を停止した上で独裁政治を開始した。これにより、米国のキューバ支配は頂点に達し、バティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアの4者がキューバの富を独占し、その富が米国本土に流れるような社会構造が形成された。1953年7月26日、このようなアメリカによる半植民地状態の克服を夢見て、弁護士フィデル・カストロ(Fidel Castro Ruz)率いる青年たちが蜂起(モンカダ兵営襲撃)したが失敗に終わり、関係者は投獄された。1954年にバティスタは形式のみの信任選挙で再選を果たし、1955年の大統領就任と同時に憲法に基く統治を復活させ、カストロらの政治犯に恩赦を与えた。カストロは、恩赦によって出獄すると反政府組織「7月26日運動(M26)」を結成、同志とともにメキシコに亡命した。その後、砂糖の国際価格の安定により、キューバ経済の状況は改善されたが、バティスタの独裁体制は継続され続けた。
メキシコ亡命後、カストロらはその地でアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(Ernesto "Che" Guevara Lynch)と出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、1956年12月にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸した。その際、政府軍の攻撃でカストロらは壊滅的打撃を受けたが、シエラ・マエストラ山脈を拠点として政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、1959年1月1日にバティスタを国外逃亡に追い込んだ。これにより革命政権が誕生したが、その際に革命政権は、発足後数週間の内に軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑した。その後、2月半ばにカストロが首相職に就任すると、革命政権は一連の農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始めた。また、精糖業などでアメリカ資本に握られていた土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。この過程で、中・上流階級の多数の人々がアメリカなどへ亡命した。
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バティスタ政権という傀儡政権を失った米国は、革命政権とは別の政権樹立に向けた動きを見せていたが、59年5月から革命政権が実施した徹底的な農地改革に直面したことで、革命政権を敵視するにいたった。おりからの米ソ対立の影響を受け、米国に敵視された革命政権はソ連に接近し、1960年にソ連と正式な外交関係を結んだ。米国政府との対立が決定的になると、キューバ政府は国内からの米国企業の排除に努め、米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化した。1961年、米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。そして、アメリカの支援と訓練を受けた亡命キューバ人の反革命軍をキューバ南部のピッグス湾に侵攻させたが、反革命軍は撃退されて目標を果たせなかった(ピッグス湾事件)。
1962年2月3日に米国のケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表した。同年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機となったが米ソの妥協で危機を回避する事態が起きた(キューバ危機)。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化したが、1965年にアメリカとキューバは、キューバ人のアメリカ移住を認めることで合意し、1973年までに26万人以上がキューバを去った。
[編集] 略年表
- 1492年 コロンブス、キューバ島に到着(12月27日)
- 1509年 ディエゴ・ベラスケス、キューバ総督に任命
- 1868年 第一次独立戦争(10年戦争)開始
- 1895年 ホセ・マルティ、オリエンテのラプライータに上陸、第二次独立戦争開始。(4月10日)
- 5月19日 ホセ・マルティ戦死
- 1898年 米西戦争(2月)
- 1902年 独立、エストラーダ・パルマ政権発足(5月)
- 1903年 米国、グァンタナモ湾を租借
- 1952年 バティスタ軍曹のクーデター(3月)
- 1953年 モンカダ兵営襲撃(7月26日)、モンカダ裁判(9月)
- 1955年 フィデル・カストロ恩赦、メキシコへ亡命
- 1956年 グランマ号でオリエンテ州に上陸(12月)
- 1957年 革命幹部会による大統領官邸襲撃(3月)
- 1958年 反乱軍の最終攻勢始まる
- 1959年 バティスタ大統領亡命(1月1日)
- 1960年 米国政府、キューバ砂糖輸入割当廃止の意向発表
- 2月4日 ミコヤン・ソ連副首相訪問、キューバ・ソ連通商条約調印
- 4月4日 ユナイテッド・フルーツ社の所有地接収
- 6月29日 石油会社テクサコ製油所介入
- 7月1日 石油会社エッソ、シェルの製油所介入
- 7月2日 米国政府、キューバ砂糖輸入割当制度を廃止
- 8月6日 米国企業接収
- 1961年 米国と外交関係断絶(1月3日)
- 4月4日 傭兵軍航空機によるハバナ等への航空施設爆撃。
- 4月16日 フィデル・カストロ、社会主義革命宣言
- 4月17日 反革命傭兵軍上陸事件(~19日)(ピッグズ湾事件)
- 4月25日 米国、対キューバ全面的貿易封鎖発表
- 1962年 キューバ危機(10月15日)、ケネディ大統領、対キューバ海上封鎖宣言(10月22日)
- 1963年 フィデル・カストロ、初のモスクワ訪問
- 1965年 キューバ共産党結成
- 1967年 フィデル・カストロ、チェ・ゲバラの死亡を発表
- 1975年 第一回共産党大会、アンゴラ派兵本格化
- 1976年 新憲法(現行憲法)制定
- 傭兵軍のルイス・ポサダ・カリレス、キューバ航空455便を爆破墜落させ乗客乗員73人全員を殺害
- 1977年 米国と利益代表部設置で合意
- 1981年 ニカラグアへ派遣した教師が暗殺
- 1983年 アメリカのグレナダ侵攻に抗議して派兵
- 1992年 憲法改正により、キューバを社会主義国家と定義。米国でトリチェリ法*成立、ブッシュ大統領が署名
- *米国のロバート・トリチェリ下院議員が提案した。一般にはCDA(Cuban Democracy Act)と呼ばれる。おもな内容は以下の通り。
- 米国籍企業の海外支店がキューバと貿易することを禁止するもの
- 米国市民がキューバに旅行することを禁止するもの
- キューバ人亡命者が家族に送金することを禁止
- *米国のロバート・トリチェリ下院議員が提案した。一般にはCDA(Cuban Democracy Act)と呼ばれる。おもな内容は以下の通り。
- 1993年 ドル所有の合法化
- 12月22日 カストロの実の娘、アリナ・フェルナンデスがアメリカへ亡命
- 1994年 米・キューバ移民協議、難民問題で米国政府と合意
- 1996年 米国でヘルムズ・バートン法* 成立、クリントン大統領が署名
- *ジェシー・ヘルムズ上院議員が提案。一般にはヘルムズ・バートン法(Helms-Burton Act)と言われているが、正式には「キューバ解放と民主連帯法」(the Cuban Liberty and Democratic Solidarity Act)という。主な内容は以下の通り。
- 米国人は接収財産に関わる取引をした外国企業に対し所有権を要求する権利を持つこと
- 接収資産と関わる企業は米国への入国を禁止すること
- しかし、この法律はヨーロッパや中南米を中心とする国際的非難を浴びている。
- *ジェシー・ヘルムズ上院議員が提案。一般にはヘルムズ・バートン法(Helms-Burton Act)と言われているが、正式には「キューバ解放と民主連帯法」(the Cuban Liberty and Democratic Solidarity Act)という。主な内容は以下の通り。
- 1998年 当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のキューバ訪問
- 1999年 米国、対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表、エリアン少年事件
- 2000年 米国による対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表
- 2001年 米国からへの食糧購入開始
- 2002年 カーター米元大統領キューバ訪問。憲法改正
- 2005年 キューバ航空機爆破、カストロ議長暗殺未遂など親米テロの廉で逮捕され、保釈後ベネズエラへ逃亡していた傭兵軍のカリレス、アメリカへ亡命を求めて脱出するもマイアミで逮捕される
[編集] 最近の動向
アメリカ合衆国下院は2003年9月9日、米国人のキューバ訪問禁止解除の法案を可決(今回で4度目の可決、賛成227、反対188)。10月23日には上院も同趣旨の法案を可決(賛成59、反対38)。いずれもブッシュ大統領の所属する共和党主導で行なわれた。連邦財務省の試算によれば、2002年に合法的にキューバを訪問した米国人は約16万人で、うち半数はキューバ系米国人、ほかに人権団体、教育関係者、ジャーナリスト、外交官など。それ以外に罰金・禁固刑のリスクをかえりみず、カナダ、メキシコ経由で違法にキューバ渡航する者も多いと財務省当局はみている。レーガン大統領の時代、罰則は25万ドルの罰金と10年の懲役へと引き上げられている。渡航禁止が解除された場合、初年度の渡航者は100万人に達すると財務省は試算。
国連総会は11月4日、米国の42年間におよぶ対キューバ通商禁止解除を求める決議を可決(賛成179、反対3、反対はイスラエルとマーシャル諸島、アメリカ合衆国。この決議は今年で12回目)。米国上院はさらに、外交委員会が渡航禁止解除を決議(11月6日)。
ブッシュ政権は2004年の大統領選に向け、大票田であるフロリダ州のキューバ系米国人票をつなぎ止めるため、上下両院で可決された法案に対し拒否権発動の姿勢を崩さない。キューバとの通商はフィデル・カストロを利するだけで、一般のキューバ人への利益にはならないというのがブッシュ政権の説明。
米国が農産物を輸出する国として、2年前、キューバは第208位であったが、現在は第35位を占めるまで急上昇している。また、かつては世界で有数の砂糖生産国であったキューバも、現在さとうきび畑の大部分を転作化、先頃開かれていたハバナでの国際貿易フェアで、米国からの参加者に砂糖の輸入を打診した。
表向きは経済制裁を継続していたはずのクリントン政権時代にハバナの米国利益代表部は大改築を行ない、現在は巨大なビルへと変貌している。
2005年11月8日、国連総会はアメリカに対し、トリチェリ・キューバ民主化・ヘルムズ=バートンの三法廃止と経済封鎖解除を求める決議を14年連続で採択(賛成184ヶ国 米国、イスラエル、マーシャル諸島、パラオは反対、ミクロネシアが棄権)。
- 2006年7月31日、カストロ国家評議会議長(79)は声明を出し、7月後半のアルゼンチン外遊のきつい日程の影響で腸に急性の問題が発生、出血が続いているため、外科手術を受けたと発表した。また、権限を数週間、弟のラウル同評議会第一副議長兼国防相(75)に委譲したことを明らかにした。声明は秘書官が読み上げ、国営テレビで・ラジオで伝えた。
- 2006年8月3日、ブッシュ米大統領は、カストロ声明に便乗して、「われわれは民主主義を約束するキューバの移行政権を樹立する努力を支持する」と「政権転覆」を呼びかける声明を出した(→白色テロ)。
[編集] 政治
- 政体:社会主義共和制
- 憲法:1976年に現行憲法を制定。1992年、2002年に一部修正。92年修正で、キューバを社会主義国家と定義。02年修正で、「社会主義体制は不可侵(変更不可能)」とする条項を追加。
- 元首:元首職は国家評議会議長。現任はフィデル・カストロ(1976年 -)。
- 国家評議会:人民権力全国会議(議会)の閉会中に、立法機能を果たす集団指導機関。内閣とは別個の存在。首長は国家評議会議長で、国家元首を務める。
- 議会:立法権行使機関として、一院制の人民権力全国会議(1976年発足)が存在。当初は、代議員を人民権力地方会(地方自治体)の中から選出する間接選挙制を採用していたが、1992年から国民が代議員を直接選出する直接選挙制度に移行した。総数589議席、任期5年。毎年2回定期的に開催され、議員中から31名の国家評議会議員を選出。
- 内閣:内閣に相当する行政機関として、閣僚評議会が存在。閣僚評議会議長・第1副議長・副議長8名・各国家委員会議長11名及び各部長官23名によって構成。首相(政府首班)に相当する閣僚評議会議長は、国家評議会議長が兼任。
- 政党:合法政党は「キューバ共産党」(PCC)のみ。PCCは、党の有力下部組織として「青年共産主義者同盟」を有する。
- 司法:司法権行使機関は、最高裁判所として人民最高裁判所が存在。最高裁判事は、人民権力全国会議が選出。法律の規定により、下級裁判所は州及び自治体ごとに存在。特別裁判所として、国家に対する犯罪を扱う革命裁判所が存在。
- 地方自治体:地方自治をおこなう人民権力地方会として、人民権力行政区会議と人民権力州会議が存在。詳細は地方行政区分を参照。
- 軍事:総司令官は、国家評議会議長が兼任。徴兵制度が存在し、17~45歳の男子が3年間兵役に服する。国防予算は約7億ドル(2000年)。正規軍兵力は、陸軍兵力3万8千人、海軍兵力3千人、空軍兵力8千人。兵器は殆どが旧ソ連製。正規軍の他に、青年勤労者軍(6万5千人)、市民防衛軍(5万人)などの民兵が存在。(数値は全て2003年。)
- 反政府組織:主要勢力として、対カストロ政権強硬派のキューバ系アメリカ人財団(CANF)がフロリダ(米国)に存在。
- 対外関係:非同盟諸国との連帯、反帝国主義、及びに民族解放運動支援が、カストロ政権の伝統的な対外政策の最優先課題。1960年の対ソ連接近にともない、米国とは1961年1月3日に国交を断絶。以後、米国から禁輸措置を受ける。近年ではラテンアメリカ諸国の左派政権との間で外交活動を活発に展開、特にベネズエラのウゴ・チャベス政権との間で関係が親密化。キューバ人医師の派遣、医学を志す留学生の受け入れ(条件付きながら無料で学べる)など、医療支援も活発に行われている。
- 対日本関係:1929年12月21日、国交樹立。1941年12月、太平洋戦争勃発にともない、米国と共に対日宣戦を布告。1952年11月、サンフランシスコ講和条約締結にともない、国交回復。1960年に通商協定を締結(発効は1961年)。1898年以降、日本人移民がキューバに定住、1999年時点の概数で日系人は800人(財団法人海外日系人協会の資料)。両国関係は、政治・経済の両面で良好。ペルー日本大使公邸占拠事件では、日本政府の要請に対し、キューバがゲリラの亡命受け入れを受諾。音楽やスポーツを通じた民間交流も盛ん。
[編集] 地方行政区分
歴史的に、キューバは6つの地方行政区分に分けられていたが、1977年の再編成によって現在の区分に改められた。現在、キューバの地方行政地域は14の州(Provincia)と「青年の島」(旧ピノス島)の1特別自治体に区分されており、更に州の内部には169の自治体が存在している。なお、現在の区分は、キューバの独立戦争期に、スペイン軍が軍事上の危険区域を分離すべく用いていた地域区分に類似しているとされている。
キューバは中央集権的な政治体制を採用しており、各州・地方自治体が有する自治権は限定的である。各州には州議会が存在するが、その構成員は住民から間接的に選出される。住民はまず、次に、議会は執行委員会の委員を選出し、その委員は各州に5つ存在する地域議会を構成する。そして、地域議会は執行委員会の委員を選出し、その委員が結集することで州議会が構成される。州議会にも執行委員会は存在し、執行委員会は各段階で議会が有する行政機能の監督を行なっている。なお、特別自治体である「青年の島」のみは、島で一つの自治体を成しており、地方自治関連の諸問題において直接中央政府の監督を受けている。
1 | 青年の島(Isla de la Juventud) | ||
2 | ピナール・デル・リオ州(Provincia de Pinar del Río) | 9 | シエーゴ・デ・アビラ州(Provincia de Ciego de Ávila) |
3 | ラ・アバナ州(Provincia de La Habana) | 10 | カマグエイ州(Provincia de Camagüey) |
4 | ハバナ市(Provincia de Ciudad de La Habana) | 11 | ラス・トゥーナス州(Provincia de Las Tunas) |
5 | マタンサス州(Provincia de Matanzas) | 12 | グランマ州(Provincia de Granma) |
6 | シエンフエーゴス州(Provincia de Cienfuegos) | 13 | オルギン州(Provincia de Holguín) |
7 | ビーリャ・クララ州(Provincia de Villa Clara) | 14 | サンティアーゴ・デ・クーバ州(Provincia de Santiago de Cuba) |
8 | サンクティ・スピリトゥス州(Provincia de Sancti Spirítus) | 15 | グァンタナモ州(Provincia de Guantánamo) |
[編集] 地理
キューバの国土は、キューバ島(本島)、「青年の島」(旧ピノス島)、及びに1600余りの小島と多島海から成る広大な群島によって構成されている。
キューバは、フロリダ半島の南145km、ユカタン半島の東に位置し、カリブ海及び大西洋とメキシコ湾を結ぶユカタン海峡及びフロリダ海峡を、国土の西部及び北部が押さえる要衝にある。国土の東部は、大西洋とカリブ海を結ぶウィンドワード海峡によってイスパニョーラ島と隔てられ、北東部はバハマ水域によってバハマ諸島、南部はケーマン海峡によってジャマイカ島及びケイマン諸島と隔てられている。
キューバの国土は、南北アメリカ大陸、及びヨーロッパとの間を結ぶ航路と接し、交易を行う上で恵まれた位置関係にある。そのため、キューバは古くから通商の要衝として経済的に栄え、かつては「メキシコ湾の真珠」とも呼ばれた。現在、キューバの周辺には、北から時計回りの順に、アメリカ合衆国、バハマ、英領タークス・カイコス諸島、ハイチ共和国、ジャマイカ、英領ケイマン諸島、メキシコが存在している。
[編集] キューバ島
キューバの本島であるキューバ島は、西インド諸島に属するカリブ海で最大の島である。島の南西には、キューバでキューバ島に次ぐ大きさを持つ「青年の島」が浮かんでいる。
キューバ島の長さは、西端のサン・アントニオ岬から東端のマイシ岬まで約1225km、南北の距離は最大250kmから最小35kmで平均値は80kmと、東西に細長い形状をしている。島の4分の1は山岳地帯となっているが、山地が島の全域に散在していることから、島に山塊は無い。主要山岳地帯としては、西部にオルガノス山脈(標高914m)、中央部にトリニダー山脈(標高1200m)、南東部にマエストラ山脈という3つの異なる山系がある。
東方山系であるマエストラ山脈は、クルス岬からマイシ岬まで南海岸に沿いながら、250㎞に及んで連なっている。他の山系と比べると一番長く複雜で、この山脈に属する標高2,005mのトゥルキーノ山は、キューバの最高峰としてそびえている。南方斜面が急な断崖をなす一方で北方斜面は緩慢で、 北方海岸に繋がる山地との間にはカウト川流域の中央低地が発達しており、キューバの主要な農業地域に数えられている。中央部山系であるトリニダー山地は、高度が低く多くの山地群で形成されており、銅・マンガン・ニッケル・クロム・鉄鉱石・タングステン等、地下資源が豊富に埋蔵されている。西部山系であるオルガノス山脈はカルスト地形で、険しい石灰岩の山地・洞窟などが多く、ハバナ付近のコティジャ洞窟が著名である。周辺の丘陵地は、石灰岩の風化土であるマタンザス土壌(Matanzas Clay)で覆われており、肥沃で排水が良く栽植農業地として的合である。
東部と中部、そして西部の山岳地を除けば、島の大部分は200m以下のなだらかな起伏の丘陵地や平野であり、土壌も大半は肥沃で、大規模な機械化農業の生産にも適した土地となっている。しかし、その地形により、島には水量の豊かな長い川が存在せず、200以上の河川の大半は急流を為す小さな川であるために、船舶の航行はできない。主要河川は、島の南東部を流れるカウト川(全長240km)であり、マエストラ山脈を水源とし、グァンタナモ湾に流れ込む。この川は、キューバで最も長い川であり、下流の約100kmは航行が可能な大きさである。また、重要な内陸水路として水力発電にも利用されている。
島は長くて狭く、複雑で入り組んだ海岸線は、全長3735kmにもなる。海岸には約7万㎢の大陸棚があり、海岸線には入江、湾、砂州やマングローブ林、サンゴ礁、湿地、大小の岬、半島が多様な景観を造成し、多くの湾が天然の良港となっている。主要な港は、北海岸にハバナ、マタンサス、カルデナス、バイアオンダ、ヌエビタスがあり、南海岸にグァンタナモ、サンティアゴデクーバ、シエンフエゴス、トリニダーがある。特に、ハバナ港は良港として知られ、通商によって栄えた歴史がある。また、グァンタナモ湾は、1903年以降現在にいたるまで、アメリカ合衆国のグァンタナモ米軍基地(南方軍管轄)が存在することで知られている。
[編集] 気候
キューバの気候は亜熱帯性海洋気候で、年間の平均気温は摂氏25.5度、夏の平均気温は27度、冬の平均気温は21度である。夏には気温のみならず、湿度も80%前後にまで上昇する。しかし、北東の貿易風が吹くため、気温は和らぎ比較的しのぎやすい環境となる。冬には平均気温が20度近くまで下がるが、それでも日中は気温が25度以上になる。乾期は11月から4月、雨期は7月から10月である。特に、ハリケーンは8月と10月にかけて多く襲来する。
[編集] 生態系
[編集] 天然資源
キューバの国土は、鉱物資源に恵まれている。特に重要視されている鉱物はニッケル、クロム、銅、鉄、マンガンである。その他にも、硫黄、コバルト、黄鉄鉱、石膏、石綿、石油、石灰岩などが採掘されている。なお、地下資源は全て政府の所有物とされている。
[編集] 経済
キューバの伝統的な主要産業は、砂糖、ニッケル、海産物である。キューバ革命以前のキューバ経済は、大土地所有制、資本従属、サトウキビの単一栽培(モノカルチャー)など、植民地的な経済構造の特徴が取り揃えられていた。具体的には、国民総生産の約25%が砂糖の生産で占められており、総輸出額の80%も砂糖が占めていた。また、砂糖生産の60%以上が米国資本に依存しており、砂糖は輸出量の3/4が米国に輸出されていた。他にも、土地所有者の8%が、総土地面積の70%以上を所有していた。
革命以後、カストロは農地改革と土地国有化を断行して計画経済を推進した。計画では、特に行政・サービス部門の增大が図られ、併せて工業・貿易が占める比率が高められた。1961年から、政府は単一栽培農業の脆弱性を克服し、工業化を進めるために経済開発計画を推進した。そして、1970年代に入ると、工業開発と砂糖生産の増大によって、社会総生産の成長率は年平均9.6%(1970~1976年)を記録した。しかしその後は、砂糖の国際価格下落、経済開発の遅延、慢性的な赤子の発生、経済上の対ソ連依存度の増大などにより、経済成長は再び停滯した。そのため、政府は1981年から国民の消費生活向上に重点を置くようになった。1990年代初頭、経済的に依存していたソ連圏の崩壊で、キューバの経済事情は悪化した。特に、1989年まで続いた年間1,300万tに及ぶソ連の原油供給が中断したことで、キューバ経済は多大な打撃を受けた。また、米国の相次ぐ経済制裁法(1992年のトリチェリ法、1996年のヘルムズ・バートン法)により、一時は食糧不足にも苦しめられた。
この厳しい状況から脱却を図るため、政府は経済・財政改革措置を実施し始めた。具体的には、1993年より外貨所持と使用の解禁、独立採算制の農業組合制度の設立承認、自営業の一部許可といった措置を開始し、1995年には外資が100%出資した企業の設立を認定する新外資法を採択した。また、1997年5月には国内4ヶ所に自由貿易地帶を創設し、2001年にはカリブ海沿岸国と自由貿易協定を締結した。他にも、観光・資源部門での外資誘致を積極化し、農業分野においてはモノカルチャーの砂糖生産依存から脱皮を図るべく、有機農業(organoponicos)へのシフトが顕著となった。一連の経済政策により、1994年以降のキューバは長年の経済沈滞から脱して経済が成長し始めた。だが、2000年代前半に生じた原油価格高騰や、米国同時多発テロ等の影響、更には2002年に生じた砂糖価格暴落とベネズエラ事態注による石油供給中断等により、キューバは2002年に経済難を経験し、同年の経済成長は1.1%と低迷した。しかし、翌2003年は当初予想(1.5%)を上回って2.6%を達成し、2005年には「革命史上最高」の11.8%の経済成長を達成している。
現在でもキューバ経済の中心は砂糖で、基本的には砂糖のモノカルチャー経済から脱却することができていない。ただし、有機農業の増大によって、最近では日本の生協などとの農産物取り引きも行なわれるようになっている。タイマイを食用として捕獲していることから、1990年代後半には副産物である鼈甲を対日輸出する計画が持ち上がった。このため、ワシントン条約の会議などで輸出を認めるよう各国に説得をして回った時期があった。砂糖以外の主産品としては、第2の輸出品としてニッケルがあり、その輸出量は輸出総額の約10%を占めている。キューバにおけるラテライト鉄鉱石の埋藏量は20億t、その中に包含されるニッケルは1.7億tであり、世界最大の規模である。また、近年では観光業に力を入れ、観光客数がここ数年で年平均18.6%の高成長を遂げたことから、観光業はキューバ最大の外貨獲得元となっている。観光収入は1996年時点で13億米ドルに達しており、2003年は観光客数190万人、観光収入23.2億ドルを記録している。
- キューバの交通
キューバでは、鉄道が砂糖輸送の重要な交通手段として使われている他、国土の中央を東西に貫通する高速道路が建設されている。また、ハバナからメキシコ・スペイン・ロシア連邦等へと繋がる定期国際航空路も開設されている。
[編集] 国民
住民の人種構成は、ムラート(スペイン系白人と黒人の混血)51%、欧州系白人37%(主にスペイン系)、黒人11%、中国系1%であると推定され、他にもメスティーソ(白人とインディオの混血)がいる。キューバ政府は、「人種別の統計は、人種差別につながる」ことを理由に、人種別の統計を取っていない。ただし、推計値では徐々に黒人系人口が増加する趨勢となっている。
1959年のキューバ革命によって成立した現政府の政策により、ラテンアメリカ地域特有の、スペインの植民地時代から続いてきた人種に基く伝統的階級社会は破壊された。なお、後述の「音楽」などから散見されるように、キューバの住民はラテンアメリカ諸国共通の総じて朗らかな気質を持っており、キューバ人は「明朗な社会主義者」と呼ばれることがあった。
[編集] 主要都市
2003年の推計によれば、キューバ国民の約75%が都市部に居住している。同国最大の都市は、主要な港湾を有する首都のハバナ(現地ではLa Habana「ラ・アバーナ」と呼ぶ - "Havana"は英語表現)で、人口は217万6,000人(国民の約20%)である。ハバナ郊外のマリアナオ(Marianao)はビーチリゾートで知られ、周辺域を含めた人口は13万3,016人(1989年)である。
その他の主要都市としては、主要な港湾都市及び工業中心地であるサンティアーゴ・デ・クーバ(40万4,100人)、キューバ島内陸の交通要所及び商業中心地であるカマグエイ(29万4,000人)、豊かな農業地域であるオルギン(24万2,100人)、農産物加工の中心地であるグアンタナモ(20万8,000人)、サンタ・クララ(20万5,900人)、バヤモ(Bayamo、13万7,660人)、シエンフエーゴス(13万2,200人)、ピナール・デル・リオ(Pinar del Río、12万8,800人)、ラス・トゥナス(Victoria de Las Tunas Victoria de Las Tunas、12万6,900人)、マタンサス(Matanzas、12万3,890人)がある。
- 人口数値出典:CUBAVIP. Population.。ただし、マリアナオの数値のみはen.Wikipedia/Marianaoに依拠。
[編集] 言語と教育
公用語はスペイン語である。だが、観光業に力を入れていること、米国本土に近いこと、そして公教育の普及率が高いことなどから、ホテル、レストラン、及びに都市部などでは英語が通じることもある。
キューバ革命後、政府は教育・社会福祉部門に対する投資率を高め、関連予算額が国家予算の16%を占めるようになった。そのため、政府は農村における文盲率の大幅な低下や、教育と医療の無料化といった成果を挙げることに成功している。
キューバでは、初等教育は義務教育となっている。識字率は、全体で95.7%(女性95.3%、男性96.2%、1995年調査)と高く、国民の大半は高校を卒業している。高等教育は、19万1262人(2001-2002年度)の学生が受けており、最大の大学は、1728年創立のハバナ大学である。
[編集] 宗教
宗教の信仰は原則として自由であるが、今では無信教者が人口の55%にまで達している。キューバで最も重要な宗教はカトリック教であり、キューバ革命以前は人口の70%以上が教徒であった(1957年)。しかし、カストロ政権下で信者数は約40%まで減少し、政府から反革命活動をしていないと見なされる必要があるなど、現在でも教会の布敎活動には政府による制約がなされている。その他の宗教には、プロテスタント、エホバの証人、ユダヤ教、サンテリアなどがあげられる。
[編集] 文化
キューバ国民の大半がスペインかアフリカからの移民であるため、キューバの文化はスペインとアフリカの伝統文化から影響を受け、それらが混交しているという特徴がある。なお、キューバは、国民の映画鑑賞が盛んな国でもある。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 解放記念日 | Triunfo de la Revolución | バティスタが1959年1月1日未明に亡命したことで、カストロのキューバ革命が達成されたことを記念する日。 |
5月1日 | メーデー | Día de los trabajadores | |
7月26日 | モンカダ兵営襲撃(革命)記念日 | Asalto al cuartel Moncada | 1953年に、カストロ率いる160名の兵士が、サンティアーゴ・デ・クーバにあるキューバ陸軍モンカダ兵営を襲撃した日。襲撃は完全に失敗したが、後の反政府組織「M26」の名称由来となったこともあり、現在ではカストロ主導によるキューバ革命の始まりであると考えられている。通常は、他の2・3日の祝日とともに祝われる。 |
10月10日 | 独立戦争開始記念日 | Día de la Independencia | 1868年に、カルロス・マヌエル・デ・セスペデスが自己所有の奴隷に自由を与え、スペイン植民地当局に対する独立戦争(十年戦争)を開始した日。 |
12月25日 | クリスマス | Navidad | キューバ革命後、クリスマスは休日をともなう祝日ではなくなった。しかし、1998年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪問を受け、政府は再びクリスマス休暇を復活させた。 |
[編集] スポーツ
詳細はキューバのスポーツを参照の事。
キューバでは社会主義国の利点を生かして、国家による選手育成が幼年期から一貫して行われている。また、高い医療水準にも支えられて、キューバ選手は夏季オリンピックを中心に輝かしい成績を収めてきた。人口比での金メダル数は世界トップクラスであり、2004年のアテネオリンピックでは9個を獲得した。
キューバがスポーツの中で特に力を入れるのは国技ともされる野球と、各オリンピックで金メダルを量産しているボクシング、それに女子のバレーボールである。また、柔道や陸上競技の跳躍系種目でも好成績を収めている。一方、競泳や陸上の長距離種目、サッカーなどは振るわず、冬季オリンピックには参加経験そのものがない。
なお、全てのスポーツ選手はアマチュアの国家公務員であり、国内では一般国民と比較して好待遇が与えられている。特に金メダリストは国家英雄として称賛されるが、アメリカなどのプロ選手と比べるとその報酬額ははるかに少ない。そのため、有力選手の中にはアメリカへの亡命者も出現する。また、亡命に失敗した選手は国際大会への派遣が行われず、キューバ選手団は常に外部との接触を厳しく制限されながら競技会に参加するという弊害も起こっている。
さらに、社会主義国のためにイデオロギーがスポーツに優先する国情があり、かつてはオリンピックのボイコットも行った。現在でも、特にアメリカとの関係で国際大会への参加に支障が出る場合がある。
[編集] 音楽
キューバ音楽は、スペイン系とアフリカ系の音楽が融合して生まれたものであり、ラテン音楽の中枢的な存在となる。アメリカのジャズなどとともに20世紀の大衆音楽に大きな影響を与えた。代表的なキューバ音楽は、スペインのギターとアフリカの太鼓を組み合わせたルンバやソンである。その他、大衆音楽の中には、ハバネラのようにスペイン音楽の要素が色濃く残っているものもある。
キューバ音楽は、まず1930年にソンによってアメリカで有名となり、1930年代以降、アメリカを中心に世界中に広まった。ただし、その際にソンが「ルンバ」として紹介されたため、元来のルンバと「ルンバ」と呼ばれるソンを区別する必要がある。1950年代には、マンボが世界的に流行したが、1959年のキューバ革命後は、アメリカとの国交が途絶え、キューバ音楽が世界に広がる経路が狭まった。ただし、社会主義諸国においては、影響を持ち続けた。特に、アフリカ的なリズムの素養、ソ連との繋がりによるクラシック的な技術体系が反映されたジャズ演奏者のレベルは非常に高く、70年代の後半にグラミー賞を受けたイラケレ、90年代に一世を風靡したゴンサロ・ルバルカバ、チューチョ・バルデス(イラケレのリーダー)など、数々のハイレベルなミュージシャンを生んでいる。
冷戦後、1990年代になると、ニューヨーク・サルサの影響を受けたティンバがキューバで流行した。また、1990年代末には古老ミュージシャン達を扱った映画(1998年のビム・ベンダース監督作品『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』)やツアーが流行となり、再び音楽の交流が活発になっている。
- 著名な曲:マラゲーニャ、シボネイ
[編集] メディア
通信社は国営のプレンサ・ラティーナに一元化されている。国内で最も読まれている新聞は、キューバ共産党機関紙のグランマで、スペイン語と英語のウェブサイトを運営している(外部リンク参照)。
キューバは、今でもキューバ共産党の一党独裁下にあり、言論の自由が強く制限されている。これがアメリカ政府によるキューバ制裁継続の一因となっている。フランスに本部を置くジャーナリストの国際的非政府組織、「国境なき記者団」が2005年に発表した「世界報道自由ランキング」では、キューバのランクは調査対象の167カ国・地域中161位にとどまり、政府の意向に添わない独立系ジャーナリストの逮捕・投獄・虐待が行われていると指摘されている。また、国外からの情報を遮断するためにネット検閲が導入され、インターネットの使用を許可制にしている。
[編集] その他
- 著名なキューバ人作家:ヘルトゥルディス・ゴメス・デ・アベリャネダ、レイナルド・アレナス、アレホ・カルペンティエル、ホセ・レサマ・リマなど。
- 政府が監督下する文化的施策
[編集] 著名な出身者
- ホセ・カンセコ(元メジャーリーガー)
- セリア・クルース(サルサ歌手)
- ホセ・コントレラス(メジャーリーガー、ホワイトソックス)
- ロベルト・バルボン(元プロ野球選手、阪急ブレーブス)
- オレステス・デストラーデ(元プロ野球選手)
- ペレス・プラード(「マンボの王様」)
- マルレン(歌手)
- オマール・リナレス(元プロ野球選手、中日ドラゴンズ)
- アリシア・アロンソ (バレエダンサー、舞踏家、キューバ国立バレエ団監督)
- ホエール・カサマヨール (ボクサー、バルセロナ五輪金メダリスト、現世界チャンピオン)
- SHEILA(モデル、タレント)
- スリア・カラタユド(陸上競技選手)
- オレステス・キンデラン(野球選手、シダックス)
- オマール・ソーサ(ジャズ・ピアニスト)
- ゴンサロ・ルバルカバ(ジャズ・ピアニスト)
- グロリア・エステファン (ロックヴォーカリスト&シンガーソングライター)
[編集] 関連項目
[編集] 関連文献
- アルフォンソ・エルナンデス,カルメン・R.著、神代修訳『キューバガイド キューバを知るための100のQ&A』海風書房、1997年10月、ISBN 4768488587
- 原著: Carmen R. Alfonso, 100 preguntas y respuestas sobre Cuba, Editorial Pablo de la Torriente, 1996, ISBN 959120096X, ISBN 9875201073
- 板垣真理子著『キューバ、愛! ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブと音楽揺籃の地への旅』作品社、2000年8月、ISBN 4878933658
- 板垣真理子著『キューバ、甘い路上』フィールドワイ、2002年6月、ISBN 4901722042、(写真集)
- 大窪一志著『風はキューバから吹いてくる ソシアリスモ・ラティーノ(ラテン的社会主義)見聞』同時代社、1998年6月、ISBN 4886833950
- 大須賀猛著『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブとキューバ音楽の手帖』水声社、2000年2月、ISBN 4891764163
- 海風書房編『キューバ万華鏡 私のキューバ体験』海風書房、2000年7月、ISBN 4768488749
- 後藤政子著、神奈川大学評論編集専門委員会編『キューバは今』(『神奈川大学評論ブックレット』17)、御茶の水書房、2001年7月、ISBN 4275018680
- 文献あり
- 後藤政子、樋口聡編著『キューバを知るための52章』(『エリア・スタディーズ』)、明石書店、2002年12月、ISBN 4750316644
- さかぐちとおる著『キューバ音楽紀行』東京書籍、2000年8月、ISBN 4487796067
- 首都圏コープ事業連合編『有機農業大国キューバの風 生協の国際産直から見えてきたもの』、緑風出版、2002年4月、ISBN 4846102041
- WCG編集室編『キューバ 情熱みなぎるカリブの文化大国』(『ワールド・カルチャーガイド』[The world culture guide series]20)、トラベルジャーナル、2001年7月、ISBN 4895594955
- 鉄矢多美子著『熱球伝説 キューバリナレスを育てた野球王国』岩波書店、1997年8月、ISBN 4000017934
- 樋口聡著『キューバへ カリブ楽園共和国探訪記』批評社、1995年12月、ISBN 4826501978
- 樋口聡著『カリブの楽園キューバで恋するサルサとラム酒とカーニバル』(『祥伝社黄金文庫』)、祥伝社、2001年4月、ISBN 4396312512
- 樋口聡著『キューバのうた 旅するカメラ 記憶するカメラ』、論創社、2002年11月、ISBN 4846004325
- ペタビーノ,ポーラ、パイ,ゲラリン著、草深直臣、金井淳二、新野守訳『キューバのスポーツ』創文企画、1999年3月、
- Paula J. Pettavino, Geralyn Pye, Sport in Cuba: The Diamond in the Rough (Pitt Latin American), University of Pittsburgh Press, Aug 1994, ISBN 0822955121, ISBN 0822937646
- 村上龍著、河野治彦データ執筆『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』新潮社、1993年7月、ISBN 4103934018
- 吉田太郎著『200万都市が有機野菜で自給できるわけ 都市農業大国キューバ・リポート』、築地書館、2002年8月、ISBN 4806712493
- 吉田太郎著『有機農業が国を変えた 小さなキューバの大きな実験』、コモンズ、2002年8月、ISBN 4906640540
- 吉田太郎著『1000万人が反グローバリズムで自給・自立できるわけ スローライフ大国キューバ・リポート』築地書館、2004年1月、ISBN 4806712779
- 八木啓代、吉田憲司著『キューバ音楽』、青土社、2001年2月、ISBN 4791758617
- 文献あり、並列タイトル: La musica en Cuba
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- The Government of Republic of Cuba (キューバ政府公式サイト)(英語)
- 駐日キューバ大使館(スペイン語)
- 外務省ウェブサイト キューバの項
[編集] その他
- 日本キューバ友好協会
- Granma International(キューバ共産党機関紙「グランマ」の国際版)(英語)
- The Miami Herald: Cuba News(亡命キューバ人の反カストロ勢力の強い米国マイアミ州の新聞、マイアミ・ヘラルドのキューバ・ニュース)(英語)
- 世界の国々 > アメリカ
-
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