フレデリック・イーストレイク
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フレデリック・ウォーリントン・イーストレイク(Frederick Warrington Eastlake 1856年 - 1905年2月18日)は米国出身の英語教育家。フランク・ウォーリントン・イーストレイク(Frank Warrington Eastlake)とも。博言博士の名で知られた。
米国ニュージャージー州に生まれる。1860年、父ウィリアム・クラーク・イーストレイク(日本の近代歯科医学の父と呼ばれる歯科医)に伴われて来日。
ドイツのベルリン大学に留学した後、1881年に再び来日。1883年、日本人女性と結婚。
1888年、英学者磯辺弥一郎と共に国民英学会を設立。のちに磯辺と不和になり、1891年、国民英学会から分裂して日本英学院を設立するも経営に失敗。このため、1896年に斎藤秀三郎と手を組んで正則英語学校の設立に加わった。
『ウェブスター氏新刊大辞書和譯字彙』など英語辞書の和訳や、『英和比較英文法十講』など英文法書の執筆に寄与。東京で病没。なきがらは青山墓地に葬られた。