プリンス・R380
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プリンス・R380 | |
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スペック(66年仕様) | |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
エンジン | プリンスGR8 直6DOHC 2.0L 197ps |
トランスミッション | 5速MT |
全長 | 3,930mm |
全幅 | 1,580mm |
全高 | 1,035mm |
ホイールベース | 2,360mm |
車両重量 | 660kg |
駆動方式 | MR |
日産・R380-2 | |
スペック(67年仕様) | |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
エンジン | プリンスGR8 直6DOHC 2.0L 200PS以上 |
トランスミッション | 5速MT |
全長 | 4,080mm |
全幅 | 1,685mm |
全高 | 985mm |
ホイールベース | 2,360mm |
車両重量 | 640kg以上 |
駆動方式 | MR |
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R380は、プリンス自工が日本グランプリ制覇のために桜井真一郎を中心として開発された、ブラバムBT8シャシーに軽量なアルミボディーを載せ、高出力プリンスGR8エンジンを搭載したプロトタイプレーシングカーである。
[編集] 成り立ち
1964年の第2回日本グランプリへ、1500ccエンジン搭載のプリンス・スカイラインにプリンス・グロリア用2000ccエンジンをノーズを延長してまで搭載したスカイライン2000GTで参戦したプリンス自工ではあったが、ポルシェ904に惨敗。このことが、プロトタイプレーシングカーとしてR380を開発するきっかけとなった。 1964年完成、1965年には谷田部にあった自動車高速試験場において横山達ドライブによって7つのスピード国際記録を樹立する。 1966年8月に日産と合併する。当時、日産においてもプロトタイプレーシングカーを開発中であったが、日産においてもR380を継続使用することとなった。
[編集] レースでの成績
- 1966年5月2日-3日
- 第3回日本グランプリにて、砂子義一の11号車が2位以下に3周差をつけて優勝。2位にも大石秀夫の10号車が、4位に横山達の9号車が入った。尚、生沢徹の8号車は、ポルシェをブロックするチームプレーに専念し12位。唯一ポルシェカレラ6で出場した滝進太郎は42周目にクラッシュしリタイア、13位となる。プリンス自工の項目に詳しい。