ベイ・シティ・ローラーズ
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ベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)はイギリス・スコットランドのエジンバラ出身のバンド。
1974年から1978年にかけて“タータン・ハリケーン”と呼ばれる、熱狂的な社会現象を巻き起こした人気アイドル・グループである。第二のビートルズとも呼ばれた。
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[編集] 概要・歴史
前身は1965年に結成された「サクソンズ」というグループ。アランとデレクのロングミュアー兄弟が中心である。
1968年にグループ名を「ベイ・シティ・ローラーズ」に改称。1971年にシングル「朝まで踊ろう」でデビューした。
その後、幾度かのメンバーチェンジを経て、1974年にレスリー・マッコーエン(リードボーカル)、エリック・フォークナー(リード・ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(サイド・ギター後にベース)、アラン・ロングミュアー(ベース)、デレク・ロングミュアー(ドラム)という5人編成になってから、「バイ・バイ・ベイビー」「サタデー・ナイト」などのヒット曲を生み出し、本国イギリスを皮切りに、その後アメリカや日本など、世界中で人気を博した。日本でも度々来日公演が行われた。 大人気の中、年長者であるアラン・ロングミュアーが脱退し、イアン・ミッチェル(ギター)が新たに参加するが、同じ年にイアン・ミッチェルも脱退し、パット・マッグリン(ギター)が参加した。しかし、パット・マッグリンも短い期間で脱退となり、メンバーチェンジが激しい時期があった。
1978年秋の3度目の来日公演を最後に、レスリーが脱退。新たにラビットのダンカン・フォール(リードボーカル/ギター)が加入し、グループ名を「ザ・ローラーズ」に改称して活動を続けたが、1981年に解散した。
しかし早くも1982年にはレスリーも参加して日本公演を行い、大盛況を得ている。これに気を良くしてか、翌年の夏、たった半年しか在籍していなかったイアン・ミッチェルとパット・マグリンも加えて東京で公演。(パットいわく「やっぱり変な気がしたよ」 彼は前年にイギリス東芝の邦楽系レーベルから3度目のデビューをしていた)。同年12月には、イアンの元あったバンドにパットを加えて、横浜で公演(EPとLPも出ていた。好盤であったが、1枚で終わってしまった)。 その2年後、どういう訳かBCRは再結成し、LPを1枚発表(本邦のみ)。
その後、ボーカルのレスリーがリード・ギターのエリックとグループ名を巡って争ったことがあった。
1990年代になるとあの人は今!?にも出演するなど、結局のところ繰り返し再結成は行われていたようである。
最近のメンバー情報としては、レスリーがLes McKeown's Legendary Bay City Rollers、イアンがIan Mitchell's Bay City Rollersという名称でツアーグループとして活動している。
2007年3月20日、LAのロイターが伝えるところによると1970年代に一世を風靡(ふうび)したスコットランド出身のロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズが20日、未支払いとなっている印税数百万ドルをめぐって、当時在籍していた米国のレコード会社を訴えた。ニューヨーク地裁に提出された訴状などによると、同グループは世界中で少なくとも7000万枚のアルバムセールスがあったにも関わらず、アリスタ・レコード社が過去25年余りの間に支払った印税は25万4000ドル(約3000万円)だったという。ソニーBMG傘下のアリスタ・レコードの広報は、この件についてノーコメントの立場をとっている。
[編集] 豆知識
- 当時のグループの人気はすさまじく、英語も全くわからない未成年の日本人ファンが彼らに会う為、親に黙って渡英し行方不明になるという事件も起こった。発見されたときには、労働ビザ無しで日本食レストランの従業員として働いていたという。
[編集] ディスコグラフィー
- 『噂のベイ・シティ・ローラーズ』
- 『エジンバラの騎士』
- 『青春に捧げるメロディー』
- 『青春のアイドル』
- 『バイ・リクエスト』
- 『恋のゲーム』
- 『風のストレンジャー』
[編集] 代表的な作品
- 『バイ・バイ・ベイビー』
- 『サタデー・ナイト(Saturday Night)』
- 『二人だけのデート(I only wanna be with you)』(TBSテレビ系「はなまるマーケット」のオープニングトークテーマ曲。現在はTommy february6のカバーしたものが使用されている。)
- 『ロックンロール・ラヴ・レター』