ホシノインパル
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株式会社ホシノインパル(英文名称:Hoshino Impul Co., Ltd.)は、元レーシングドライバーの星野一義が社長を務めている日本の会社。
1980年にモトクロス時代の星野のチームメイトであった金子豊と星野の2人で設立。設立のきっかけは、星野がレースで必要とするようなパーツの開発・製造を行うと共に、それらを一般に広く販売することで星野がレース活動を行うのに必要な原資を稼ぎ出すことを目的としていた。
主に日産車向けのエアロパーツやチューニングパーツの開発・販売を行っているほか、チューニング済みのコンプリートカー(完成車)の販売も行っており、日産車ファンはもとより自動車ファンからも広く好評を得ており、星野と共に「IMPUL」ブランドの知名度向上にも貢献している。
また、星野が監督を務めるレーシングチームの運営母体でもある。
目次 |
[編集] 製品
- アルミホイール
- サスペンション(オーリンズと共同開発)
- エアロパーツ
- ブレーキ(ブレーキパッド、ローター等)
- シフトノブ
- エンブレム
- その他カスタマイズパーツ
- 完成車
[編集] レーシングチーム
1983年に星野がそれまで所属していたヒーローズレーシングから独立し、ホシノインパルの関連会社として有限会社ホシノ・レーシングを設立。その後ホシノインパルはもちろんのことカルソニックなど多くのスポンサーを得て、全日本耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権、全日本GT選手権や、全日本F2選手権→全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップフォーミュラ等に参戦を続けている。
[[]]2006年]]シーズンはフォーミュラ・ニッポンに「mobilecast IMPUL」から松田次生、ブノワ・トレルイエの2人、「Arting IMPUL」から本山哲と星野一樹の計4台を出場させたほか、SUPER GTに「CALSONIC IMPUL Z」(ブノワ・トレルイエ、星野一樹組)を出場させた。「Arting IMPUL」に関しては岡田秀樹が監督を務めた。
2007年シーズンは「mobilecast IMPUL」「CALSONIC IMPUL Z」については前年と同様だが、フォーミュラ・ニッポンのもう一チームがメインスポンサーの交代により「Arabian Oasis Team IMPUL」となり、ドライバーも本山とミハエル・クルムの組み合わせとなった。また本山の強い要望により、同チームのチーム監督を服部尚貴が務めることとなった。
[編集] 全日本F2選手権
- 1983年
- No.2 マーチ832/BMW 星野一義
- 1984年
- No.1 マーチ842/BMW 星野一義
- 1985年
- No.2 マーチ85J/ホンダ 星野一義
- 1986年
- No.2 マーチ86J/ホンダ 星野一義
[編集] 全日本F3000選手権
- 1987年
- No.1 マーチ87B/ホンダ・ローラT87/50/ホンダ 星野一義
- 1988年
- No.1 ローラT88/50/無限 星野一義
- 1989年
- No.1 ローラT89/50/無限 星野一義
- 1990年
- No.19 ローラT90/50/無限 星野一義
- 1991年
- No.1 ローラT91/50/無限 星野一義
- 1992年
- No.19 ローラT92/50/無限 星野一義
- 1993年
- No.19 ローラT92/50/フォード 星野一義
- 1994年
- No.1 ローラT93/50/無限 星野一義
- 1995年
- No.19 ローラT95/50/無限 星野一義
- No.15 ローラT94/50/無限 鈴木利男
[編集] 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン
- 1996年
- No.19ローラT96/52/無限 星野一義
- No.1ローラT96/52/無限 鈴木利男
[編集] 富士GC
- 1983年
- No.1MCSⅣ(マーチ822)/BMW 星野一義
- 1984年
- No.19MCSV(マーチ832)/BMW 星野一義
- 1985年
- No.1MCSⅥ(マーチ842)/BMW 星野一義
- 1986年
- No.1MCS7(マーチ85J)/BMW 星野一義
- 1987年
- No.1MCS7改(マーチ86B)/フォード 星野一義
- 1988年
- No.1MCS8(マーチ88GC)/無限・MCS8(ローラT88/50)/無限 星野一義
- 1989年
- No.19セルモ89Ge(ローラT89/50)/無限 星野一義
[編集] 全日本F3選手権
- 1985年
- No.22 ラルトRT30/日産 佐野和志
- 1988年
- No.30 ラルトRT32/日産 近藤真彦
- 1989年
- No.30 ラルトRT32/日産 近藤真彦
- 1990年
- No.30 ラルトRT33/無限 近藤真彦
- 1991年
- No.19 ラルトRT35/無限 金石勝智
- 1992年
- No.19 ラルトRT35/無限 高村一明
[編集] 全日本耐久選手権・全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)
- 1983年
- No.23 マーチ83G/日産 星野一義/萩原光
- 1984年
- No.23 マーチ83G/日産 星野一義/萩原光
- 1985年
- No.28 マーチ83G/日産・マーチ85G/日産 星野一義/松本恵二/萩原光
- 1986年
- No.23 マーチ86G/日産 星野一義/萩原光/中子修
- 1987年
- No.23 マーチ87G/日産・マーチ86G/日産 星野一義/高橋健二
[編集] 全日本ツーリングカー選手権(JTC)
- 1987年
- 1988年
- No.12 R31スカイラインGTS-R 和田孝夫/北野元
- 1989年
- No.12 R31スカイラインGTS-R 星野一義/北野元
- 1990年
- No.12 R32スカイラインGT-R 星野一義/鈴木利男
- 1991年
- No.1 R32スカイラインGT-R 星野一義/鈴木利男
- 1992年
- No.12 R32スカイラインGT-R 星野一義/影山正彦
- 1993年
- No.12 R32スカイラインGT-R 星野一義/影山正彦
[編集] 全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
- 1994年
- No.12 P10プリメーラ 星野一義
- 1995年
- No.12 P10プリメーラ 星野一義
- 1996年
- No.12 P11プリメーラ 星野一義
- 1997年
- No.12 P11プリメーラ 星野一義
[編集] 全日本GT選手権(JGTC)
- 1994年
- No.12 R32スカイラインGT-R 影山正彦
- 1995年
- No.1 R33スカイラインGT-R 影山正彦
- 1996年
- No.1 R33スカイラインGT-R 星野一義/影山正彦
- No.12 S14シルビア 本山哲/水野文則
- 1997年
- No.12 R33スカイラインGT-R 星野一義/本山哲
- 1998年
- No.12 R33スカイラインGT-R 星野一義/黒澤琢弥
- 1999年
- No.12 R34スカイラインGT-R 星野一義/影山正美
- 2000年
- No.12 R34スカイラインGT-R 星野一義/本山哲
- 2001年
- No.12 R34スカイラインGT-R 星野一義/本山哲
- 2002年
- No.12 R34スカイラインGT-R 星野一義/田中哲也/ブノワ・トレルイエ
- 2003年
- No.12 R34スカイラインGT-R ブノワ・トレルイエ/井出有治
- 2004年
- No.12 Z33フェアレディZ ブノワ・トレルイエ/井出有治
[編集] SUPER GT
- 2005年
- No.12 Z33フェアレディZ ブノワ・トレルイエ/井出有治
- 2006年
- No.12 Z33フェアレディZ ブノワ・トレルイエ/星野一樹
[編集] 主なメインスポンサー
- フィリップモリス(LARK)
- 1983~85年 F2&GC
- 日本ラジヱータ→カルソニック(現・カルソニックカンセイ)
- 1982年~ SS、耐久、JTC(88年~)、JTCC、JGTC、SGT、フォーミュラ・ニッポン(96年)
- 大沢商会(BYZERO)
- 1986年 F2&GC
- LEYTON HOUSE
- 1987年 F3000、GC、JTC
- 日本たばこ産業(CABIN)
- 1988~92年 F3000&GC
- 日本石油(現・新日本石油)
- 1993~95年 F3000
- 日本ペイント(MAZIORA)
- 1998年 フォーミュラ・ニッポン
[編集] カルソニックスカイライン
青のスカイラインとして星野一義/ホシノレーシングを象徴する存在と言える。初登場は1988年の全日本ツーリングカー選手権の日産・スカイラインGTS-R(R31型)。当時は星野はドライブしてなかった。翌89年から星野自身もドライブ。1990年には前年に発売されたスカイラインGT-R(R32型)を投入し、星野一義・鈴木利男組でシリーズチャンピオンに輝く。
1993年に全日本GT選手権が発足すると、R32スカイラインで影山正彦をドライバーとし、1995年シーズンまで3年連続チャンピオン(1993年シーズンはニスモからのエントリー。95年からR33スカイラインに)に輝く。95年途中からは、それまで監督だった星野一義もドライブするようになった。
星野と組んだドライバーは1989年が北野元、1990、91年が鈴木利男、1992年]]、93年(グループA)、1995,96年(GT)は影山正彦、1997、2000、2001年は本山哲、1998年は黒澤琢弥、1999年は影山正美がドライブしている。2002年には田中哲也と組んでいたが、シーズン途中に星野が引退表明し、ブノワ・トレルイエがドライブした。
翌2003年はトレルイエに井出有治を加え、シーズン2勝をあげる。最終戦鈴鹿で勝ち、前年に販売終了となった関係でこの年限りで参戦終了となったスカイラインGT-Rの有終の美を飾った。
全日本GT選手権参戦時のカーナンバーは、1993年に2番をつけてチャンピオンを獲ったため、1994年から2年間は1番をつけていたが、1996年にタイトルを逃すと、グループA時代からつけていた12番をつけている。
[編集] CALSONIC IMPUL Z
NISMOは、2003年限りで参戦終了となったスカイラインGT-Rの後継機種として、全日本GT選手権(SUPER GT)・GT500クラスのベースマシンを日産・フェアレディZ(Z33型)に変更した。その中のマシンの一台である。
2004年は井出有治、ブノワ・トレルイエのコンビで参戦し、前半は不運で泣くが、最終戦で優勝を飾る。2005年もこのコンビで参戦。2006年は井出有治がF1に進出した関係でブノア・トレルイエのチームメイトに星野一義の息子である星野一樹が加入。