ホンダ・ドリームCB750FOUR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
DREAM CB750FOUR(ドリーム シービー750フォア)は、本田技研工業が製造販売していたオートバイである。
目次 |
[編集] 開発までの経緯
当時のロードレース世界選手権で完全制覇を果たしたホンダは、商業面でも世界的に進出することを目指し、次々にドリームCB450などの新車を発表し輸出していったが、当初は海外での評判が思いのほか芳しくなかった。これはレースからの流れとしてオートバイのトップスピードを重視するあまり、小排気量で性能を出してもライダーが操れる余裕が少なかったことから、乗りやすさに欠けている面があったためである。
そこで排気量の拡大により性能と余裕の両立を図った上、この頃のレース規格にも対応できる車両が構想されて製作が決定したが、当時のオートバイとしては最大級の排気量となるため、製造には当時の技術すべてを結集させることになった。
こうして製造された車両が、ドリームCB750FOUR(以下CB)である。なお車名のドリームは、ホンダが当時の高性能スポーツタイプに用いていたシリーズ商標である。
[編集] 年表
- 1967年 - CBの製作を決定。
- 1968年 - 夏の頃に実車テスト開始。
- 1968年10月 - 東京モーターショーにて実車を展示。
- 1969年3月 - エンジンを埼玉製作所・車体を浜松製作所にて生産開始。
- 1969年4月 - 海外輸出開始。
- 1969年8月 - CB(K0)国内販売開始。販売価格は38万5000円。
- 1971年10月 - 生産拠点を鈴鹿製作所に完全統合移転。
- 1975年6月 - CB750FOUR-IIの販売開始。
- 1977年4月 - 最後のモデルとなるCB750FOUR-K(K7)、F-II、EARAの販売開始。
- 1978年8月 - CB750Kへのモデルチェンジを控え生産が終了される。
[編集] CBの主要装備と性能
エンジンは見た目も考慮して二輪量産車初の並列4気筒エンジンを採用したが、 アルミの部品を多く利用し、シリンダーをやや細めにしてエンジン自体の幅と重量を抑えている。吸排気バルブについては、当時のレーサーに使用していた高回転対応のDOHCではなく、低回転からの乗りやすさと生産性を勘案し、あえてSOHCを採用した。キャブレターを全てのシリンダー4個に装備したのも二輪量産車としては初めてである。
- エンジン性能 - 738cc・67馬力・最高速度200km/h
エンジンの排気量と馬力は、同業他車のエンジンを比較する形で決定された。このエンジンはもう少し性能を上げることも可能だったが、乗りやすさを優先したことから、当時の市販オートバイすべての最高値を上回る出力程度に抑えられていたが、それでも200km/hのスピードを出すことも可能な性能は確保されていた。しかし当時のタイヤとチェーンはこの馬力に対応しきれず、開発中に破裂や断裂を繰り返したことから、共にCB専用の部品が造られることになったが、これは部品メーカーがホンダ側に対する製造物への責任を明確にするためだったとも言われている。
- 前輪ディスクブレーキ
当時既に少量生産車両ではMVアグスタというメーカーが前輪ディスクブレーキを使用していた。しかし二輪量産車では前例がなかったため、CBの実車が展示されるモーターショーの直前までドラムとディスクのどちらを用いるか比較討論されていたが、最終的に本田宗一郎社長の「鶴の一声」で、ディスクブレーキを装備して展示させることが決まった。これにより二輪量産車として初めてディスクブレーキを採用することになったが、ノウハウの蓄積には苦労したと伝えられている。
他にも車体のダブルクレードルフレームや、4本出しのエキゾーストパイプマフラーなどがホンダとして初めて装備され、1970年(K1)・1972年(K2)・1974年(K4)と、ほぼ2年おきに装備やカラーなどの正式なマイナーチェンジを行なっている。
[編集] CB750FOUR-II
CB750FOUR-IIは1975年6月に発売された。集合管と呼ばれる一本マフラーと後輪ディスクブレーキを装備し、走行性能を高めたスポーツモデルである。ところが、静か過ぎて迫力に欠ける集合管、プレーンな外観はイマイチ評価を得るに至らず、K0以降伝統的な4本マフラーのK6も併売された。1977年には、ホイールをアルミリムとアルミプレートを組み立てたコムスタースターホイールの採用、前輪ディスクブレーキをダブルにするなどのモデルチェンジを受けたが、装備で重量が重くなってしまい、また出力も国内仕様は67PS→65PSと低下したこと、更に免許制度改正の影響を受けて人気は出ず、後にCB750Fへフルモデルチェンジされることになった。
[編集] CB750FOUR-K
CB750FOUR-Kは1977年4月に発売された。型番はK7。外観は大きく変更されているが、エンジンはCBと同じものを搭載している。しかしこの頃になると同業他車より性能に劣る面が多くなったことから、エンジンをDOHCに換装してフルモデルチェンジされることになったため、このモデルがCBの最後として位置付けられている。
[編集] EARA
EARA(エアラ)も1977年4月に発売された派生車種である。正式型番はCB750A。軽自動車のN600で使われていたトルクコンバータの技術を流用し、「ホンダマチック」と名づけられた2速選択式のオートマチック車両として製造されたモデルである。しかし出力伝達の関係で馬力が落とされており、スポーツ性能に欠けるものがあると評されたことから、販売面では芳しくなかった。
[編集] CBが世界に与えた影響
日本で生産されたCBの多くは輸出され、その性能だけでなく製造の精密さも評価を受け、世界各地で絶賛を受けることになり、CBは世界の工業史にも名を刻む製品となった。このCBの成功は、ホンダが二輪において世界的トップメーカーとしての地位を確立しただけでなく、日本の様々な重工業製品を世界に認めさせるきっかけも作った。
CB以前のバイクといえば、キックによる困難な始動、振動によるネジの緩み、電装品の破損、オイルは漏れて当たり前といった具合で、それが当然と思われていた。それだけに、CBの信頼性、安定性の与えた影響は、絶大なものだったと言える。
また、ホンダの成功を見た日本の同業他社も海外へ進出していったため、やがて日本製オートバイは世界中を席巻し、国際的な販売合戦が繰り広げられていくことになった。
[編集] CBが日本に与えた影響
日本国内でも性能の高さは認められたが、発売直後のCBは当時の国産自動車よりも最高速度の性能が高く、さらにこの頃としては最大級の車体であったことから、不慣れな扱いによる事故の発生が目立つようになった。このため当時の運輸省の行政指導により、CBより上の排気量を持つバイクの形式認定が困難となってしまい、また、当時は125ccで免許の試験が行われており、それ以前は車の免許に自動二輪の免許が付いてきた時代もあり、その様な大型車に不慣れな者の運転が、事故多発の原因となっていたため、1975年、大排気量車に限って急激に厳格化されるきっかけとなってしまった。これらによる大型自動二輪車の不遇は1990年代まで続いてしまった。 70年代の大型バイクに対する風当たりは、現在では想像できないほど凄まじく、ナナハン=暴走族という不当な扱いを受けた程である。頻発する事故に対し「不必要な高性能で、多くの若者の命を奪った」メーカーの社会的責任を問う声が上がったほどであった。大型車=ナナハン=ホンダという図式からか、ホンダに対する風当たりが酷かったという.
しかしこの事がCBなど750ccのオートバイを、いわゆる「ナナハン」として日本における二輪の最高峰に位置付けさせた面もある。
[編集] CBにまつわる話
- CBは9年間で60万台以上が生産されたが、これは原付を除く国内の自動二輪車生産数としては最高の数字である。ただし台数の大半は海外へ輸出されている。
- エンジンの下部にある変速機構を覆っているクランクケースは、最初のうちは少量生産に適した砂型鋳造を行っていたが、発売後に受注が殺到したことにより、大量生産を行うためダイキャスト金型の使用に切り換えた話は有名で、砂型ケースを用いている初期生産車(型番「K0」のうち7千台程度といわれる)は現在でも珍重されている。
- 発売当時の販売価格である38万5000円は、当時の軽自動車であるN360の31万3000円より高価であったが、当時におけるCBの性能面を海外他車と比較すれば100万円で販売されてもおかしくはなかった事から、38万の価格で製造のための初期投資を償却できるのか疑問視されたこともあった。
- 本田宗一郎は開発中のCBを見て、あまりにも大きな車体や性能の高さからあくまでイメージリーダーであると考えその商品性には疑問を抱いていたと伝えられているが、社史などでは自身も試乗して絶賛していたことや、上述の前輪ディスクブレーキ装備を自らが決断したこと等が記されている。
- 週刊少年チャンピオンに掲載された石井いさみの漫画、「750ライダー」の主人公、早川光の乗るバイクはCB750K2である。ワイルド7と並び、CB750の人気を小学生にまで認知させるのに貢献した作品といえる。尚、テレビ版ワイルド7は、スズキ・GT750である。
[編集] 関連項目
- CB750K - DOHCエンジンの後継モデル
- CB750F - CB750FOURのフルチェンジモデル
- CB750 - 現行モデル
[編集] 参考文献
雑誌『別冊 MOTOR CYCLIST』2005年6月号 雑誌コード08755-6