ボッティチェッリ (競走馬)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1951年 |
父 | ブルーピーター |
母 | ブオナミカ |
生産 | フェデリコ・テシオ |
生国 | イタリア |
馬主 | フェデリコ・テシオ →M・M・I・デッラ・ロチェッタ |
調教師 | フェデリコ・テシオ →M・M・I・デッラ・ロチェッタ |
競走成績 | 18戦14勝 |
獲得賞金 | 4755万リラ+11375ポンド |
ボッティチェッリ(Botticelli、1951年 - ?)はイタリアの競走馬。事実上最後のイタリアクラシック三冠馬である。イタリアの名馬産家フェデリコ・テシオ晩年の傑作で、リボーの1歳年上にあたり、実際にフェデリコ・テシオが調教して競走を見た馬としては最後の名馬となった。イギリスでも活躍し、種牡馬としてもイタリア、ドイツで成功した。名前の由来はイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリより。
血統は父が英二冠馬ブルーピーター、母はテシオが生産したブオナミカというもので、近親は祖母ベルニーナが伊牝馬二冠を制したほか、半弟にダービーイタリアーノ優勝馬ブラック、ドンカスターカップに優勝したボナール、半妹にもセントレジャーイタリアーノを勝ったバルバラシラーニがいる良血である。
3-5歳の間にイタリアとイギリスで18戦を走り14勝を上げ、4755万リラ+11375ポンドの賞金を稼ぎ出した。主要な勝ち鞍としてイタリアクラシック三冠、ミラノ大賞典、イタリア大賞典、クリテリウムナツィオナーレを勝ったイタリアの一流馬であるが、1955年の凱旋門賞前の調教でリボーに子供扱いされ、リボーの引き立て役となってしまった側面もある。だがこの馬自身もイギリスでアスコットゴールドカップに優勝するなど優れた能力を見せており、国際的に活躍できる能力を持っていたことは間違いない。
引退後はイタリアで種牡馬入りし、メラヴイ(ディアナ賞)、アンテラーミ(ダービーイタリアーノ、イタリア大賞典)、ベンマーシャル(セントレジャーイタリアーノ)、タヴエルニエル(セントレジャーイタリアーノ)、レイバーン(パリオリ賞)、セロヴ(イタリア大賞典)等の産駒を輩出した。その後1965年にドイツのシュロースフレンズ牧場へ輸出されたという。死亡日は不明だが1973年生まれの産駒がおり、その前年までは生きていたはずである。
カテゴリ: 1951年生 (競走馬) | サラブレッド | イタリア生産の競走馬 | イタリア調教の競走馬