ポール・スコールズ
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ポール・スコールズ(Paul Scholes、1974年11月16日 - )は、イングランドのサッカー選手。
1974年11月16日に英国のマンチェスター近郊サルフォードに生まれる。ライアン・ギグス、デビッド・ベッカム、ギャリー・ネビル、ニッキー・バットらと同期のマンチェスター・ユナイテッドユース出身で、19歳でトップチームデビュー。
ポジションはセントラル・ミッドフィールダー。身長170センチと小柄ながら豊富な運動量、絶妙なポジショニングからの飛び出し、正確かつスピードがあり、しばし相手の急所を突く長短のパス、相手ゴール・キーパーを恐怖に陥れる正確かつ強烈なミドルシュートを武器に中盤に欠かせない存在となり、オールド・トラフォードに幾つもの歓喜をもたらした。特にボールの受け方とその展開力は見事の一言に尽き、常に試合をコントロールし、90年代後半から2000年代前半のイングランド代表および、マンチェスター・ユナイテッド黄金期の破壊的な攻撃は彼なしでは成し得なかったと言っても過言ではなく、実際に彼経由で大抵の攻撃は始まる。このように代表・クラブともに欠かせない選手となっており、29歳の若さで代表を引退した現在、各方面から復帰が望まれている。2002-2003シーズンにはルート・ファン・ニステルローイのシャドウ・ストライカーを務め、シーズン通算22得点を記録した。
この世代にはベッカムら華のある選手が多く、地味でシャイな性格の彼はその活躍とは裏腹にあまりスポットライトを浴びることは多くない。そのため最も過小評価されている選手と呼ばれることもあるが、世界最高峰のプレーヤーの一人であることは間違いなく、一部の評論家や往年の名プレーヤーの間ではあのジネディーヌ・ジダンに勝るとも劣らないとする者も少なくない。ベッカムからも、「彼はもっと評価されていい。」と言われた程である。替えのきかない選手と、あらゆる人々に賞賛されている。ドイツワールドカップでは優れたセントラル・ミッドフィルダーが目立った大会であり、実際それらの選手を擁するチームは好成績を残した。大会前、多大な高評価を得ていたイングランド代表はその前評判とは裏腹にベスト8で大会を去った。中盤にはジェラード、ランパードといったスターを擁していたが、イングランドの攻撃が手詰まりだったことを考えるとユーロ04後のスコールズの代表引退はイングランドにとって非常に痛手だったに違いない。
2005年12月、左目の視界が異常をきたす原因不明の病気を発症。長期療養中であったが、シーズン最終戦であった5月7日の試合で復帰。ファンを狂喜乱舞させた。
イングランド代表デビューは1997年の南アフリカ戦。また聖地ウェンブリー・スタジアムで初めてレッドカードを受けたスリーライオンズのメンバーでもある。EURO2004を最後に代表引退を表明したが未だ世界トップクラスの選手であることに変わりはない。 イングランド代表通算66キャップ、14得点。
[編集] 所属クラブ
- マンチェスター・ユナイテッドユース(イングランド)1991-1992
- マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)1993-
マンチェスター・ユナイテッド - 2006-2007 |
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